真田信繁(幸村)の側室で高梨内記の娘。真田丸では「きり」という名前で長澤まさみが演じていると言ったほうがわかるでしょう。信繁(幸村)との間には、次女・於市、三女・阿梅(片倉重長後室)をもうけています。九度山にも同行している。阿梅は片倉小十郎重長の後室になり、信繁(幸村)の次男・大八も片倉家に養育されたといわれています。
こんにちは、こんばんは、はじめまして、毎度です(笑)。aoplanning.comの管理人aki(@aoplanning_com)です。
片倉小十郎重長つながりということで、母親は違いますが三女・阿梅、次男・大八にも少し触れています。
それではいってみよう!
高梨内記の娘
真田信繁(幸村)の側室。真田家の重臣・高梨内記の娘。名前は采女(うめね)との表記も見られる。采女は高梨内記自身や高梨内記の子であるとの説があり、はっきりはしていない。
信繁(幸村)との間には、次女・於市、三女・阿梅(片倉重長後室)をもうける。次女・於市は早世している。
信繁(幸村)の側室・堀田作兵衛興重の娘同様、関連する資料は、ほとんど無く、はっきりとしたことはわかっていない。
関ヶ原の戦い後、信繁(幸村)は九度山に流され父・高梨内記とともに同行している。
三女・阿梅
阿梅(おうめ)に関しては、信繁(幸村)が大坂城に入った際に行動を共にしており、信繁(幸村)が最期を迎えるとなると、敵方・片倉小十郎重長に阿梅を託したという逸話が残っている。
阿梅は片倉家で養育され、片倉小十郎重長の正室・指月院は「自分が亡くなったら阿梅を継室に」と言い残しているようです。言葉通り、阿梅は重長の後室になっています。
次男・大八(真田守信)
阿梅(おうめ)と一緒に信繁(幸村)の次男・大八(真田守信)も片倉家に引き取られている。
真田守信
真田守信(さなだもりのぶ)。1612年(慶長17年)~1670年(寛文10年)10月30日。父は真田信繁(幸村)。母は正室・竹林姫(竹林院)。生まれは父の幽閉先・紀伊国九度山。
幼名は大八。片倉久米之介守信。仙台真田家の祖。
大八については高野山蓮華定院の記録に「5月5日、京都に於て印地打ち成され、御死去候」とあるのだが・・・。
1640年(寛永17年)、伊達家(仙台藩)に召し抱えられ、真田四郎兵衛守信を称した。
が、逆賊の子供ではないかと咎められる。伊達家は信繁の次子・大八は石投げで死んでいる記録を持ち出して弁明し、守信は「真田信尹の次男・政信の子」だと説明した。
幕府からの処罰はなかったが、真田姓から片倉姓に改め、片倉久米之介守信と改名している。仙台藩には扶持300石で召し抱えられている。
1670年(寛文10年)10月30日、死去。享年59。
参考サイトは以下のとおりです。本当にありがとうございました。
「真田丸」では「きり」という名前。女優・長澤まさみが演じる。
大河ドラマ「真田丸」では「きり」という名前で女優・長澤まさみが演じてます。
ネットなどでは「きり」というキャラクターが物議をかもしています。「戦国のヤンキー娘」などなど・・・。
たしかに長澤まさみが好きな管理人でも、ちょっとなーという場面はあります。
信繁(幸村)の生涯のパートナー
真田丸では、「きり」というキャラクターは信繁(幸村)の生涯のパートナーであり、ヒロインという位置づけです。
第十三話で梅が亡くなるまでは、なにかと対比されるキャラクターなので、第十四話からではないでしょうか。
第十二話「人質」では、ドラマの冒頭で「源次郎様に何処までもついていく」と言っています。不器用にごまかしていはいますが・・・。
ガラッと変わった「きり」「長澤まさみ」に期待しています!
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まとめ
大河ドラマ「真田丸」で、阿梅と大八にも触れてくれればと思っています。
真田丸での「きりちゃん」がガラッと変わりますように・・・(笑)。
それでは感謝の気持ちでしめます。いつもありがとうございます・・・。by aki(@aoplanning_com)
お読みくださってありがとうございました。それでは。