関東に在住する管理人が「小山城」に行ってみた。小山城(おやまじょう)は栃木県小山市城山町(下野国都賀郡小山)にあった城。別名は祇園城(ぎおんじょう)。城跡は、祇園城跡の名称で中久喜城跡・鷲城跡とともに「小山氏城跡」として、国の史跡に指定されている。
こんにちは、こんばんは、はじめまして、毎度です(笑)。aoplanning.comの管理人aki(@aoplanning_com)です。
祇園城と呼ばれた「小山城」について記事投稿してみたいと思います。
それではいってみよう!
目次
小山城を訪ねて
小山城に行ったのは、まさに偶然だった。
申し訳ないが「史跡・小山評定跡」に行ったら、「小山城址公園」があったので行ってみた。すみません・・・。
小山城址公園は小山市役所から道路を挟んだ場所に位置する。
小山城の概要
小山城(おやまじょう)は栃木県小山市城山町(下野国都賀郡小山)にあった城。別名は祇園城(ぎおんじょう)。
城跡は、祇園城跡の名称で中久喜城跡・鷲城跡とともに小山氏城跡として、国の史跡に指定されている。
小山城の歴史
1148年(久安4年)、伝承によると、小山城は「小山政光」によって築かれた。
※小山氏は武蔵国に本領を有し藤原秀郷の後裔と称した「太田氏」の出自。政光が下野国小山に移住して「小山氏」を名乗った。
小山氏は鎌倉時代に下野国守護を務めた。小山城は中久喜城・鷲城とならび、小山氏の主要な居城であった。
当初は鷲城の支城であった。南北朝時代に小山泰朝が小山城を居城として以来、小山氏代々の本城となった。
1380年(康暦2年)~1383年(永徳2年)、「小山義政の乱」。小山氏は鎌倉府により追討され断絶。
のち同族の結城家から養子を迎えて再興。
小山方の拠点として文献資料に記された鷲城・岩壺城・新々城・祇園城・宿城のうち「祇園城」が小山城と考えられている。
1576年(天正4年)、小山秀綱が後北条氏に降伏。後北条氏により改修され、北関東攻略の拠点となる。
- 1602年(慶長12年)頃、本多正純が相模国玉縄より入封。
- 1619年(元和5年)、本多正純が宇都宮へ移封。小山城は廃城。
小山政光・寒川尼像
台座に写ってるのは、変なものではありません。管理人自身です。今度行く機会があったら、画像差し替えます(笑)。
ちょうど小山市役所の裏手、思川ほとりに「小山政光・寒川尼像」がある。
(追記2016.10.02)ということで画像差し替えます。以前行った時より、像が鳥のフンなどで汚れてしまっています。悲しいですね・・・。
※寒川尼は「さむかわのあま・さむかわに」と読む。
寒川尼(さむかわに)は源頼朝の乳母(めのと)を務め、小山政光の正室(後妻)。
小山政光は「日光男体山」を指している。
小山城址公園
小山城のあった場所は、現在、「小山城址公園」となっている。
建物と呼ばれるものは何も残ってない。
史跡指定
史跡指定名称「小山氏城跡」として。
- 1991年(平成3年)3月12日、小山城跡は「祇園城跡」として鷲城跡とともに国の史跡に指定。
- 1994年(平成6年)、両城跡の未指定部分を追加するとともに、あらたに中久喜城跡を追加指定。史跡指定名称「小山氏城跡」。
1991年(平成3年)時点では、祇園城跡の南久保曲輪の土塁の一部、また、鷲城跡の本丸の一部が未指定であった。
小山御殿
小山城址公園から道路を挟んだ場所に、「小山御殿広場」という小山御殿跡地がある。
小山市役所の隣になる。
小山御殿には、あとで触れます。参考にしてください。
小山城の所在地および交通アクセス
小山城址公園の所在地。
所在地、交通アクセス等は、
- 住所:栃木県小山市城山町1丁目1
- TEL:0285-23-1111
- アクセス:小山駅から徒歩で8分
史跡・小山評定跡
小山市役所には「史跡・小山評定跡」がある。
小山城址公園に行った際には、「史跡・小山評定跡」にも行くことをオススメします。
詳細は記事投稿してますので、よろしければ参考にしてみてください。「小山御殿」にも触れています。
参考サイト
参考サイトは以下のとおりです。本当にありがとうございました。
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まとめ
小山城(祇園城)について書きました。
管理人は「小山氏」ついて詳しくなかったので勉強になりました。
こうなると鷲城跡・中久喜城跡にも行ってみたくなります・・・。
訪問した際には、記事投稿したいと思います。
それでは感謝の気持ちでしめます。いつもありがとうございます・・・。by aki(@aoplanning_com)
お読みくださってありがとうございました。それでは。