「真田丸」では薫という名で女優・高畑淳子が演じる。真田昌幸の正室・山手殿。子は、長女の村松殿、嫡子の真田信幸(信之)、次男の真田信繁(幸村)。昌幸が九度山に幽閉されたおりには同行せず、信幸(信之)が引き取る。すぐに出家して寒松院と改める。出自については諸説ある。「真田太平記」では、菊亭(今出川)晴季の娘。
こんにちは、こんばんは、はじめまして、毎度です(笑)。aoplanning.comの管理人aki(@aoplanning_com)です。
菊亭(今出川)晴季の娘ではないなって思ってましたが、やはりあたっているようです!調べてみるもんです・・・。
それではいってみよう!
目次
山手殿(寒松院)
山手殿(やまのてどの)。1549年(天文18年)?~1613年(慶長18年)6月3日。
菊亭(今出川)晴季の娘との説があるが、出自については諸説ある。「真田太平記」では、菊亭(今出川)晴季の娘としていが、武藤喜兵衛(のちの真田昌幸)が武田家の下級武士だけに可能性はかなり低い。
1564年(永禄7年)頃に、武藤喜兵衛(のちの真田昌幸)に嫁ぐ。昌幸の間に長女の村松殿、嫡子の真田信幸(信之)、次男の真田信繁(幸村)をもうける。
山手殿(寒松院)の出自説
山手殿(寒松院)の出自について。出自説が数あるという確認です。どれも決め手がないようです。だから出自説が、いくつもあるのだが・・・。
2016年放送の大河ドラマ「真田丸」では、正親町実彦の姪、公家ゆかりの女性のどちらかを採用しているように思える。
菊亭晴季の娘
真田氏関係の編著では公家の清華家・菊亭(今出川)晴季の娘とされている。菊亭晴季は従一位・右大臣にまでなっている。
主君・武田信玄の正室・三条殿の実家・三条家と菊亭家は同格。武藤喜兵衛(のちの真田昌幸)が武田家の下級武士だけに可能性はかなり低い。
「真田太平記」では、この説を採用している。
宇多頼忠の娘
「石田氏系図」「尾張藩石河系図」に宇多頼忠の娘と明記。
ということは真田昌幸と石田三成は義理の兄弟ということになる。
遠山氏なら真田氏自身が公式系図でそう書くのに何の不都合もなかったはずで、客観的理由であり得ない菊亭氏説としているのは、徳川幕府体制下で悪人・三成と縁戚であることを隠したかったからとの主張。
遠山右馬助の娘
武田信玄の家臣・遠山右馬助の娘。
「甲陽軍鑑」に遠山右馬助の名前が確認されており、昌幸とも知己があった可能性は高く、昌幸の正室の出自としては最も説明が付く人物であるとの主張。
武田信玄の養女
高野山に流された真田昌幸・信繁(幸村)親子が仮寓していた寺院である高野山蓮華定院に残る過去帳に山手殿は「武田信玄公養女」と明記。
正親町実彦の姪
「滋野世記」の一説に見られ、正親町実彦の姪で菊亭家の養女となっている。正親町家は、清華家・菊亭家・三条家より家格の低い羽林家で、両家と同じ閑院流。
天文5年(1536年)、正親町実彦(季秀)の養父・正親町公叙は甲斐に下向。
「真田家御事跡稿」(編纂:河原綱徳)で、「小県郡御図帳」に「京之御前様御料所」とある。
真田信之の遺言記に「正親町西三条殿」の名があることから、正親町家の娘で武田信玄の養女としている。
正親町三条公兄、三条西実枝は、ともに駿河での長期滞在があり、甲斐への下向の記録もあることから正親町三条家、三条西家の娘という説もある。
公家ゆかりの女性
1578年~1579年(天正6年~7年)頃成立の真田氏の検地帳の写本(「真田氏給人知行地検地帳」「小県郡御図帳」)で山手殿を「京之御前様」を明記している。
人質として
真田家が武田氏家臣の際には、甲府・新府城に人質として暮らす。1582年(天正10年)3月に、織田信長による武田家滅亡後は開放される。
1600年(慶長5年)8月、関ヶ原の戦いの直前に大坂にいたため、石田三成の人質となって大坂城に拘留される。人質と言っても形式上だけである。
晩年
1600年(慶長5年)12月13日、真田昌幸・信繁親子は九度山に幽閉。が、山手殿は昌幸に同行せず、信幸(信之)が引き取る。出家して名を寒松院と改める。
1601年(慶長6年)頃、大輪寺で暮らし始める。
1613年(慶長18年)6月3日、死去。法名・寒松院殿宝月妙鑑大姉。墓所は大輪寺(長野県上田市)、大林寺(長野県長野市)。
自害説
山手殿には、確証はないが自害説もある。
夫・真田昌幸の三回忌が済んだあとに自害したのではないかといわれる。
- 真田昌幸の没年:1611年(慶長16年)6月4日
- 山手殿の没年:1613年(慶長18年)6月3日
事の真相は分からないが、興味深い説だ・・・。
「真田丸」では薫という名前。女優・高畑淳子が演じる。
「真田丸」では、薫という名前で女優・高畑淳子が演じてます。
う~ん、高畑淳子のキャラクターなのか、演出なのかキャンキャンうるさいです(笑)。重厚さがありません・・・。三谷幸喜の好みなのか・・・。
ちなみに1985年放送の「真田太平記」では、小山明子が演じてました。
第39話「歳月」
薫殿は、第39話「歳月」で最期をむかえた。
薫殿の最期は、有働アナによる「ナレ死」。
いろいろありましたが、高畑淳子さんお疲れ様でした。
詳細は記事投稿してますので、よろしければ参考にしてみてください。
参考サイト
参考サイトは以下のとおりです。本当にありがとうございました。
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まとめ
山手殿(寒松院)について、調べてみました。よろしければ参考にしてください!
それでは感謝の気持ちでしめます。いつもありがとうございます・・・。by aki(@aoplanning_com)
お読みくださってありがとうございました。それでは。