矢沢三十郎頼康(頼幸)。父は猛将・矢沢薩摩守頼綱。ドラマでは真田家の良きサポート役として描かれている。真田源次郎信繁が上杉景勝の人質に出される際には警護役として同行している。第一次上田合戦では徳川家臣・大久保忠世を震え上がらせたエピソードも残っている。真田家筆頭家老であり、まさに矢沢家あっての真田家である。
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矢沢三十郎頼康(頼幸)といったら真田家の名サポート役というイメージがあるのだが・・・。
それではいってみよう!
矢沢頼康
矢沢頼康(やざわ よりやす)。三十郎は幼名。幸貞、頼幸。1553年(天文22年)~1626年(寛永3年)3月21日。但馬守。
父は矢沢薩摩守頼綱。真田信綱や真田昌幸の従兄弟にあたる。
若い頃より沼田城代の父・矢沢薩摩守頼綱に従い、天正期には既に沼田城代をまかされていた。
1585年(天正13年)、真田源次郎信繁が上杉景勝の人質に出される際には、警護役として同行している。
この年を境に父・頼綱の活動はあまり見られなくなり、書状でも父と連署したものはこの年が最初で最後になっているため、この前後に代替わりが行なわれたものと推測。
関ヶ原の戦い後には真田家当主・真田信之に仕え、大坂冬の陣・大坂夏の陣では病気療養の信之の代わりに出陣した信政・信吉らを補佐した。信之は頼康に「何事も油断なく、間に入って頼み入り候」との書状を送っている。
1626年(寛永3年)に死去。遺言により弟・頼邦が家督を相続し、子孫は代々松代藩筆頭家老職を担っている。
第一次上田合戦
1585年(天正13年)閏8月の第一次上田合戦では矢沢頼康は支城・矢沢城に上杉援軍と籠城。依田源七郎勢1500を退けた。
追撃戦では大久保忠世らを散々に蹴散らす活躍を見せている。
後日談として真田信之と徳川家臣・大久保忠世が第一次上田合戦を振り返る会話で、
「第一次上田合戦の殿(しんがり)は、大長刀を振りまわす音が迫って身もすくむ思いであった。真田伊豆守信之殿でしたか。」と徳川家臣・大久保忠世が称賛。
信之の返答、
「私は追激戦は下手である。それは私ではなく矢沢但馬守(頼康)でしょう。」
と言ったといわれています。
父・矢沢薩摩守頼綱と同じく、勇猛果敢であるとのエピソードです。
「真田丸」では迫田孝也が演じる。
「真田丸」では迫田孝也が演じてます。「三十郎」として真田源次郎信繁(堺雅人)に付き従い、登場シーンもそこそこあります。
源次郎信繁(堺雅人)を常にサポートする役を見事に演じていると思います。
「真田丸」での第一次上田合戦が楽しみですね~。勇猛果敢な三十郎も見てみたいです!
第36話「勝負」
この放送回の三十郎(迫田孝也)には泣けた・・・。
詳細は記事投稿してますので、よろしければ参考にしてみてください。
参考サイト
参考サイトは以下のとおりです。本当にありがとうございました。
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まとめ
第一次上田合戦では、父である猛将・矢沢薩摩守頼綱と同じく勇猛果敢のエピソードも残っています。
まさに矢沢家あっての真田家である!
それでは感謝の気持ちでしめます。いつもありがとうございます・・・。by aki(@aoplanning_com)
お読みくださってありがとうございました。それでは。