「真田丸」で平野長泰が登場するとは思っても見なかった。賤ヶ岳の七本槍のひとりだが、唯一人大名になれていない。平野氏は鎌倉幕府の執権・北条氏の庶流の子孫、父・長治は清原業賢の子(清原宣賢の孫)とする説がある。秀吉からは大和国・十市郡田原本近隣七ヶ村に5千石の知行を与えられ、従五位下・遠江守に叙任。豊臣姓を下賜。
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賤ヶ岳の七本槍の一人という情報だけを知っていた管理人だが、はたして平野長泰とは・・・。
歴史好きの管理人が好き勝手に記事投稿します。
それではいってみよう!
平野長泰
平野長泰(ひらのながやす)。1559年(永禄2年)~1628年(寛永5年)5月7日。父は平野長治。尾張国津島に生まれる。
平野氏は鎌倉幕府の執権・北条氏の庶流の子孫、父・長治は清原業賢の子(清原宣賢の孫)とする説がある。
長勝から長泰に改名。官位は従五位下・遠江守。
妻は土方雄久の娘。兄弟は長時、長景。子は長勝。
墓所は泉岳寺(東京都港区)。
秀吉に仕える~徳川家の旗本
若くして羽柴秀吉に仕えた。
- 1583年(天正11年)、賤ヶ岳の戦い。福島正則、加藤清正、片桐且元らと共に格別の働きをして賤ヶ岳の七本槍の一人となる。
- 1597年(慶長2年)、従五位下・遠江守に叙任。豊臣姓を下賜。
大和国・十市郡田原本近隣七ヶ村に5千石の知行を得る。
関ヶ原の戦いでは東軍に付き、旗本として徳川秀忠に仕えた。秀忠は関ヶ原の戦いに遅参してるので、手柄をあげられなかった。
大坂の陣では豊臣方に合流しようとしたが、江戸留守居役となる。
七本槍の中で唯一人大名になれなった。
子孫は九代続いて明治まで生き残り、明治新政府の高直しにより大名・田原本藩となっている。
賤ヶ岳の七本槍
羽柴秀吉方で功名をあげた兵のうち以下の7人は後世に「賤ヶ岳の七本槍(しずがたけのしちほんやり)」と呼ばれている。
- 福島正則
- 加藤清正
- 加藤嘉明
- 脇坂安治
- 平野長泰
- 糟屋武則
- 片桐且元
実際に感状を得、数千石の禄を得たのは桜井佐吉、石川兵助一光も同様である。7人というのは語呂合わせで、七本槍以外にも石田三成や大谷吉継、一柳直盛も含めた羽柴家所属の14人の若手武将が最前線で武功を挙げたと記録されている。
「賤ヶ岳の七本槍」は譜代の有力な家臣を持たなかった秀吉が自分の子飼いを過大に喧伝した結果ともいえる。
大河ドラマ「真田丸」では近藤芳正が演じる
大河ドラマ「真田丸」では平野長泰を近藤芳正が演じる。
ユニークな役が多い印象の俳優だ。
あまり知られていない平野長泰は自由度があり、いいキャラクターになってくれるのを期待してるのだが(笑)。
参考サイト
参考サイトは以下のとおりです。本当にありがとうございました。
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まとめ
平野長泰を近藤芳正が、どのように演じるのか楽しみデス。
第16話「表裏」では控えの間で横に寝ながらスルメを食べていたので、管理人が思ってるキャラクターになるような気がします(笑)。
それでは感謝の気持ちでしめます。いつもありがとうございます・・・。by aki(@aoplanning_com)
お読みくださってありがとうございました。それでは。