大政所(仲・なか)。秀吉、秀長、朝日姫の母。「秀吉」では市原悦子

大政所(仲・なか)。太閤・秀吉、大和大納言・秀長、朝日姫の母,アイキャッチ画像
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大政所(仲・なか)。子には豊臣秀吉、秀長、日秀、朝日姫(旭姫・駿河御前)。秀吉が関白になったことにより従一位を賜っている。法名は天瑞院春岩。秀吉が天下人になったため、途中から人生が劇的に変わった人物である。僅かな期間であるが年老いてから、息子・秀吉のため徳川家康の人質になっている。死後に後陽成天皇から准三后を追号。

こんにちは、こんばんは、はじめまして、毎度です(笑)。aoplanning.comの管理人aki(@aoplanning_com)です。

大政所(仲・なか)といえば徳川家康への人質が有名なのだが・・・。

歴史好きの管理人が好き勝手に記事投稿します。

それではいってみよう!

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大政所

大政所(おおまんどころ)。1513年(永正10年)~1592年(天正20年)7月22日。尾張国・愛知郡御器所村に生まれる。

名は仲(なか)。美濃の鍛冶関兼貞の娘との説がある。妹に栄松院(小出秀政の正室)、姉妹に松雲院(福島正則の母)、従姉妹に伊都(加藤清正の母)。

子には豊臣秀吉、秀長、日秀、朝日姫(旭姫・駿河御前)。位階は従一位。

墓所は大徳寺内天瑞寺、高野山青巌寺、山科本国寺。法名は天瑞院春岩。

大政所は本来「大北政所」の略。摂政・関白職にある者の母親に対して天皇の宣旨によって贈られる尊称。

正式には天瑞院だが、現在では大政所で呼ばれることが多い。

関白・秀吉の母、従一位を賜る

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織田家の足軽または雑兵(雇い兵)の木下弥右衛門に嫁ぎ、日秀と秀吉を生む。

  • 1543年(天文12年)1月2日、夫が亡くなった後、織田信秀に仕えた同朋衆と伝わる竹阿弥(筑阿弥とも)と再婚。秀長と朝日姫(旭姫)をもうける。
  • 1573年(天正元年)、秀吉が長浜城主。おね(北政所)らと一緒に暮らす。嫁姑は実の親子のように親密な関係にあったと伝わる。
  • 1582年(天正10年)6月、本能寺の変。長浜城は明智方・阿閉貞征に落された。おね(北政所)と仲(大政所)は伊吹山麓大吉寺に逃れた。

大坂城築城と共に大坂に移る。

長浜城。別名は今浜城。羽柴秀吉が小谷城攻めの功績により拝領。三献の茶
長浜城の別名は今浜城。というかもとは今浜という名称で、羽柴秀吉が城主になって織田信長の名から一字拝領し長浜に改名。室町時代初期、佐々木道誉の出城が元と伝わる。羽柴秀吉が小谷城攻めの功績により拝領。本格的に羽柴秀吉が最初に築いた居城でもある。

  • 1585年(天正13年)7月11日、秀吉が関白任官。仲は従一位に叙された。これ以後仲は大政所と呼よばれる
  • 1586年(天正14年)5月、大和・郡山城の秀長を訪問。高野山や春日神社を参詣。
  • 1586年(天正14年)9月、徳川家康の正室・朝日姫を見舞うため岡崎へ。コレは人質として送られた。家康は上洛を決意。

徳川家重臣・本多重次は大政所の滞在する館の周囲に柴を積み上げ、事ある際にはいつでも火をつけられる準備をしていたといわれる。

家康の秀吉への謁見は平穏に終わったので、大政所は約1か月で大坂城に戻っている。

  • 1588年(天正16年)6月8日、再び病気となるが祈祷で回復。
  • 1590年(天正18年)1月14日、朝日姫(旭姫)が聚楽第で死去。仲の病も重くなる。
  • 1591年(天正19年)1月22日、秀長が大和・郡山城で病死。

なかは朝鮮出兵をやめるように秀吉に懇願している。秀吉も朝鮮渡海を1年延期している。

1592年(天正20年)7月22日、仲は聚楽第で死去。享年80(もしくは77)。

大坂に戻った秀吉は、既に亡くなったと死を知り、あまりの衝撃にその場で卒倒したといわれる。

  • 1592年(天正20年)8月4日、聖護院門跡道澄法親王を名代として中村一氏と小出秀政を付けて高野山に登らせ、剃髪寺を創立して木食応其を開基とした。高野山に1万石を寄進。
  • 1592年(天正20年)8月6日、大徳寺で法要。
  • 1592年(天正20年)8月7日、蓮台野で荼毘に付す。後陽成天皇は准三后を追号。

「源平藤橘」に次ぐ氏(うじ)「豊臣」を賜る秀吉。氏姓は豊臣朝臣
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羽柴(豊臣)秀長。兄・秀吉を支える豊臣家の良識。もとは尾張国中村生まれの百姓である。兄・秀吉が天下人になると100万石を超える大大名になった。領地と官位から大和宰相、大和大納言と呼ばれた。豊臣政権では政権運営の調整役であり、政権の安定には欠かせぬ人物だった。また秀吉に異を唱え制御できる唯一の人物であったのだが・・・。
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大河ドラマ「真田丸」では山田昌が演じる

大河ドラマ「真田丸」では大政所を山田昌が演じる。

大河ドラマの大政所を演じた人物は、

  • 1965年「太閤記」-浪花千栄子
  • 1981年「おんな太閤記」-赤木春恵
  • 1983年「徳川家康」-鈴木光枝
  • 1996年「秀吉」-市原悦子
  • 2002年「利家とまつ〜加賀百万石物語〜」-草笛光子
  • 2006年「功名が辻」-菅井きん
  • 2011年「江〜姫たちの戦国〜」-奈良岡朋子

である。

管理人は1996年放送「秀吉」市原悦子のインパクトが強い。

※市原悦子さんは、2019年1月12日、心不全のため、東京都の病院で死去。享年82歳。1996年放送の大河ドラマ「秀吉」では大政所の熱演、そしてナレーションと深く管理人の心に残っております。ご冥福をお祈りします。

「真田丸」第17話「再会」感想。旭姫と秀吉に臣従する徳川家康
紆余曲折ありながら真田討伐は中止された。豊臣家からしたら予定通りである。真田家は駒に使われた。所領の大きさから考えて仕方がないだろう。秀吉は妹・旭姫を徳川家康の正室にし、母・大政所までも人質として送り込んだ。さすがの家康も上洛を決意。陣羽織を所望する有名な秀吉への臣従。果たして真田家の取るべき道は・・・。

参考サイト

参考サイトは以下のとおりです。本当にありがとうございました。

大政所 – Wikipedia

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2016年大河ドラマ「真田丸」レビュー記事

1985年新大型時代劇「真田太平記」レビュー記事

まとめ

秀吉の家族のことを書いていると切なくなる。

秀吉が天下人になってから、家族・一族の運命は劇的に変わった。それが運命という見方もあるのだが・・・。

そして大政所の死から数年して、「豊臣秀次事件」は起こる。

この事件を目撃していない大政所は、それだけでも幸せなのだろうか?

それでは感謝の気持ちでしめます。いつもありがとうございます・・・。by aki(@aoplanning_com)

お読みくださってありがとうございました。それでは。

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