宇都宮仕置。秀吉が源頼朝に倣い関東・奥州の諸大名に行った戦後措置

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1590年(天正18年)7月13日、関白・豊臣秀吉は相模国・後北条氏を降伏させた。これにより天下一統を成し遂げる。秀吉は源頼朝に倣い宇都宮という土地を選び、宇都宮城で関東・奥州の諸大名に戦後措置を行っている。宇都宮仕置と呼ばれる。ここで秀吉は、その後の奥州仕置の方針についても決定している。

こんにちは、こんばんは、はじめまして、毎度です(笑)。aoplanning.comの管理人aki(@aoplanning_com)です。

豊臣秀吉による宇都宮仕置について調べてみた。

歴史好きの管理人が好き勝手に記事投稿します。

それではいってみよう!

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宇都宮仕置

1590年(天正18年)7月、関白・豊臣秀吉が小田原征伐で東国の勢力を制圧し、天下統一を成し遂げる。

関東および奥州の諸領主に対して行った戦後措置。いわゆる宇都宮仕置(うつのみやしおき)と呼ばれる。

鎌倉幕府創立者・源頼朝が奥州合戦の際、1189年(文治5年)7月19日に鎌倉を発ち宇都宮で宇都宮大明神に奉幣し奥州を平定したことに倣っているといわれる。

宇都宮城での戦後措置

宇都宮仕置。秀吉が源頼朝に倣い関東・奥州の諸大名に行った戦後措置,画像01

1590年(天正18年)7月13日、関白・豊臣秀吉は相模国・後北条氏を小田原城にて降伏させた。

  • 1590年(天正18年)7月17日、鎌倉・鶴岡八幡宮を参詣。
  • 1590年(天正18年)7月19日、鎌倉を出立。
  • 1590年(天正18年)7月25日、下総国・結城城に到着。養子・秀康(徳川家康の次男)を結城氏の養嗣子とする。
  • 1590年(天正18年)7月26日、下野国・宇都宮城に入城。

結城氏には小山氏・壬生氏などの旧領を与えることを正式に決定している。

秀吉は宇都宮に滞在し、会津への巡察行軍を行って再び宇都宮に入城。この期間は20日間にも及んだ。

秀吉が宇都宮に長期滞在した理由は、公的には長雨のためとされている。

常陸・佐竹義宣、南部・南部信直が宇都宮入りしており、7月28日には伊達政宗も宇都宮入りした。このように関東・奥羽の大名達が宇都宮に出頭していた。

秀吉の宇都宮城滞在中の時点で奥州仕置の方針が、ほぼ決定されていたとみられている。以上のことからも滞在が長くなってしまったようである。

  • 1590年(天正18年)8月15日、下野国・宇都宮城を出立。
  • 1590年(天正18年)8月20日、駿府城に入城。

秀吉より先に五奉行・増田長盛、金森長近、京極高次らは宇都宮に駐留していた。

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朱印状

宇都宮城に入った秀吉は、源頼朝と同様に宇都宮大明神を奉幣し東国の安定を祈願したとの推察がある。

しかし当時の宇都宮城下は後北条勢力の日光山僧兵等による焼き討ちなどで焼失していて、天下人の奉幣を受けるだけの余力があったかは不明。

社伝にも秀吉の奉幣を伝える記録は無い。

秀吉は関東・奥羽の諸氏を宇都宮城に出頭させ、その戦後の所領措置(朱印状)を申し渡した。

宇都宮を選んだことが秀吉の意図によるものであったかは不明である。

しかし宇都宮は下野国・一宮名神大社河内郡二荒山神社の別称であり、下野国の国造家は崇神天皇の命により東国平定に臨んだ豊城入彦命を始祖とするなど、天下統一の最後の舞台として相応しい場所のひとつであったものと考えられている。

大河ドラマ「真田丸」での宇都宮仕置

2016年放送の「真田丸」でも宇都宮仕置が扱われた。

扱われたと言っても宇都宮城で伊達藤次郎政宗(長谷川朝晴)による酒宴が開かれた。そこで政宗は皆に「ずんだ餅」を振る舞った。

という設定であった。

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参考サイト

参考サイトは以下のとおりです。本当にありがとうございました。

宇都宮仕置 – Wikipedia

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2016年大河ドラマ「真田丸」レビュー記事

1985年新大型時代劇「真田太平記」レビュー記事

まとめ

源頼朝に倣い、宇都宮という場所にこだわったのだろうか。

確かに秀吉は後北条氏を降伏させ、名実ともに天下の覇者になっている。

それでは感謝の気持ちでしめます。いつもありがとうございます・・・。by aki(@aoplanning_com)

お読みくださってありがとうございました。それでは。

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