尾高城。捕縛された山中鹿介幸盛が下痢と偽り脱出、米子市尾高
尾高城。鳥取県米子市尾高にある中世の城(平山城跡)。城郭構造は連郭式平山城。泉山城(いずみやまじょう)とも呼ばれる。戦国時代は西伯耆の要衝であり、尼子氏と毛利氏の争乱の舞台となる。捕縛された山中鹿之助幸盛が下痢と偽り脱出した逸話も残る。
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尾高城。鳥取県米子市尾高にある中世の城(平山城跡)。城郭構造は連郭式平山城。泉山城(いずみやまじょう)とも呼ばれる。戦国時代は西伯耆の要衝であり、尼子氏と毛利氏の争乱の舞台となる。捕縛された山中鹿之助幸盛が下痢と偽り脱出した逸話も残る。
石田堤歴史の広場。石田堤は石田三成が忍城水攻めのために築いた堤とされる。現在は行田市堤根地区から鴻巣市袋地区にかけて、約250mが残存。「埼玉県指定史跡」となっている。平成27年4月1日にオープン。当時の石田堤の深さまで掘り下げて再現されている。
新東名高速道路の長篠設楽原PA(パーキングエリア)。2016年2月13日(土)に新東名高速道路の豊田東JCT~浜松いなさJCTが開通。上りは武田軍、下りは織田・徳川連合軍をコンセプトにしている。そして珍しい自動販売機。下り線には徒歩5分ほど行ける史跡、茶臼山(ちゃうすやま)の織田信長本陣跡がある。
正定寺。所在地は茨城県古河市大手町7-1。江戸幕府大老を務めた古河城主・土井利勝が開基。開山は当誉玄哲(とうよげんてつ)。浄土宗の寺院。旧土井家江戸屋敷表門である黒門、土井家墓所らは古河市指定文化財である。境内には「土井利勝像」がある。
幸村たちは「雁金踊り」の最中に九度山村を脱出。村長・長兵衛の助けもあり無事に脱出成功。演じている人が同じなので、「真田太平記」の佐平次が幸村を逃してくれたとしか思えない!大坂城に入った幸村は二度の上田合戦は自分の手柄とハッタリをかます。これには草葉の陰で安房守も喜んでいるに違いない。「頼もしくなったなと・・・」
関東に在住する管理人が「鷲城」に行ってみた。鷲城(わしじょう)は下野国小山荘(現在の栃木県小山市外城)にあった城。1380年(康暦2年)から1383年(永徳2年)にかけて起こった「小山義政の乱」において本城としての役割を果たす。城跡は中久喜城跡、祇園城跡とともに「小山氏城跡」として、国の史跡に指定されている。
初(常高院)といえば、大坂冬の陣で阿茶局と和議をまとめることだろう。浅井三姉妹の一人。姉は豊臣秀吉の側室となった茶々(淀殿)。妹は徳川秀忠正室(継室)の江(崇源院)。本名は浅井初(あざいはつ)。一般に「初」の呼び名で知られる。京極高次の正室。
古河公方館は鴻巣御所・鴻巣館とも呼ばれ、「古河御所」と呼ばれる場合もある。現在、古河公方館跡地の大半は古河総合公園にある。北西1kmあたりに「古河城本丸跡」が位置するだけに、古河城とあわせて一つの広大な城域を形成していた等の見方も示されている。最後の古河公方・足利義氏の娘である氏姫の居館となった。
明石掃部頭全登の来訪は風雲急を告げた。そして片桐且元。且元は振り返りながら語り始める。方広寺鐘銘事件がキッカケのようだ。豊臣家と徳川家は一触即発。戦いは始まろうとしていた。信繁は決意する。ここから真田左衛門佐幸村の物語が始まる。今まで全てが前フリだったかのように・・・。
塙団右衛門(直之)。加藤嘉明に出仕するまでは謎が多い。関ヶ原の戦い後は、加藤家を退去している。のち小早川秀秋・松平忠吉に仕える。福島正則にも仕えているが、「奉公構(ほうこうかまい)」により罷免される。浪人となり出家。大坂冬の陣が始まると豊臣方に浪人衆として参加。「夜討ちの大将 塙団右衛門直之」と書いた木札をばら撒く。