「 武将ゆかりの地 」一覧

長篠設楽原PA。上りは武田軍、下りは織田・徳川連合軍。新東名が延伸

長篠設楽原PA。上りは武田軍、下りは織田・徳川連合軍。新東名が延伸

新東名高速道路の長篠設楽原PA(パーキングエリア)。2016年2月13日(土)に新東名高速道路の豊田東JCT~浜松いなさJCTが開通。上りは武田軍、下りは織田・徳川連合軍をコンセプトにしている。そして珍しい自動販売機。下り線には徒歩5分ほど行ける史跡、茶臼山(ちゃうすやま)の織田信長本陣跡がある。

鷲城跡。小山義政の乱においては本城、本丸には鷲神社。小山市外城

鷲城跡。小山義政の乱においては本城、本丸には鷲神社。小山市外城

関東に在住する管理人が「鷲城」に行ってみた。鷲城(わしじょう)は下野国小山荘(現在の栃木県小山市外城)にあった城。1380年(康暦2年)から1383年(永徳2年)にかけて起こった「小山義政の乱」において本城としての役割を果たす。城跡は中久喜城跡、祇園城跡とともに「小山氏城跡」として、国の史跡に指定されている。

古河公方館。古河御所・鴻巣御所とも呼ばれ、大半は古河総合公園

古河公方館。古河御所・鴻巣御所とも呼ばれ、大半は古河総合公園

古河公方館は鴻巣御所・鴻巣館とも呼ばれ、「古河御所」と呼ばれる場合もある。現在、古河公方館跡地の大半は古河総合公園にある。北西1kmあたりに「古河城本丸跡」が位置するだけに、古河城とあわせて一つの広大な城域を形成していた等の見方も示されている。最後の古河公方・足利義氏の娘である氏姫の居館となった。

古河城跡・古河城本丸跡。周辺には鷹見泉石記念館・永井路子旧宅も

古河城跡・古河城本丸跡。周辺には鷹見泉石記念館・永井路子旧宅も

古河城は室町時代には「古河御陣」とも呼ばれ、古河公方の本拠となった時期には古河御所(こがごしょ)とも呼ばれた。江戸時代は譜代中の譜代大名が治め、幕府の要職を歴任し、大老・老中を輩出している。明治以降、珍しく城は徹底的に破壊されている。「古河城本丸跡」は大きな目印としては標柱が立っているだけである・・・。

高源寺。正木丹波守利英が開基、臨済宗円覚寺派。埼玉県行田市

高源寺。正木丹波守利英が開基、臨済宗円覚寺派。埼玉県行田市

埼玉県行田市の臨済宗円覚寺派・高源寺。忍城の戦い後、成田家家老・正木丹波守利英は武士の身分をすてた。豊臣方・成田方双方の戦死者を弔うため佐間口付近に「高源寺」を建立。守天和尚を招き開山。映画「のぼうの城」でも取り上げられエンディングで紹介されている・・・。

勝願寺。小松姫・仙石秀久の墓、三つ葉葵を許される。鴻巣市本町

勝願寺。小松姫・仙石秀久の墓、三つ葉葵を許される。鴻巣市本町

埼玉県鴻巣市本町の勝願寺。宗派は浄土宗。浄土宗の関東十八檀林の1つ。徳川家康から「三つ葉葵」の使用を許されている。二世住職・円誉不残上人は後陽成天皇から、僧としては最高位の「紫衣」を与えられた。真田家・仙石家・丹後田辺城主・牧野家の墓所がある寺院としても有名。

石田堤史跡公園。石田三成が忍城水攻めのために築く、埼玉県鴻巣市

石田堤史跡公園。石田三成が忍城水攻めのために築く、埼玉県鴻巣市

石田堤史跡公園。石田堤は石田三成が忍城水攻めのために築いた堤とされる。現在は行田市堤根地区から鴻巣市袋地区にかけて、約250mが残存。「埼玉県指定史跡」となっている。旧・吹上町(現・鴻巣市)が町内に残る一部を保存して「石田堤史跡公園」として整備。