「真田丸」第50話「最終回」感想。六文銭は鳴った。そして真田丸ロス

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真田丸が、ついに最終回を迎えた。いや最終回が来てしまった。サブタイトルはなし。視聴者のかんじるままにという制作側の配慮だろう。心憎い演出だ。真田丸への思いは一人ひとり違う。だけど真田丸に一喜一憂した人は多い。管理人にとって真田丸は忘れられないドラマとなるに違いない。真田丸よ、ありがとう・・・。

こんにちは、こんばんは、はじめまして、毎度です(笑)。aoplanning.comの管理人aki(@aoplanning_com)です。

大坂城を出、野戦に持ち込んだ信繁だったが、形勢は圧倒的に不利。そんな中、後藤又兵衛が討ち死にする・・・。

歴史好きの管理人が大河ドラマ「真田丸」レビューを好き勝手に記事投稿します。

それではいってみよう!

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大河ドラマ「真田丸」第50話「最終回」あらすじ

幸村は大角与左衛門を德川の内通者として追い込む。佐助は与八の遺体を発見。証拠を揃えられた与左衛門は串を腹に刺し、自害したかに思えた・・・。

落城の夢を見るほど茶々は窮地に陥っていた。不安な茶々に幸村はいくつかの策を授ける。これにより茶々も冷静さを取り戻す。

運命の日、1615年(慶長20年)5月7日。予想より早く戦いは始まった。幸村は茶臼山より出陣。豊臣秀頼は出陣してないが、豊臣家の馬印「千成瓢箪」に兵士たちは活気づく!

毛利勝永は怒涛の快進撃で德川家康本陣を目指す。幸村もそれに続く。形勢は豊臣方が圧倒的有利であった。このタイミングで秀頼出馬を考えた大野治長は大坂城に戻り秀頼に報告しようとした。

しかし、一緒に馬印も引き上げてしまった。この小さな行動が歴史を変えた。馬印が引き上げてしまった様子を見た兵士たちは動揺した。秀頼が大坂城に戻ったと思ってしまったのである。

流れは一気に徳川方へ傾いた。最後の戦国武将と説明された家康は、この機を逃さなかった。大坂城からは火の手が上がる。家康は陣を整え、反撃にでる。形勢は逆転した。

家康の首だけを目指した幸村も負けを覚悟したのだろうか・・・。もはやこれまで・・・。微かに笑みを浮かべ、梅からもらった「六文銭」を前において切腹。介錯は佐助であろう。

大坂からの道中である信之は、まだ相模・玉縄の地。おこうからもらった「六文銭」が鳴った。

信之は六文銭を握りしめ、空を見上げる。

源三郎は全てを悟る。弟・源次郎が無事に三途の川を渡ったことを・・・。

淀殿(茶々)。豊臣秀吉の側室、秀頼の母、母は織田信長の妹・市
豊臣秀吉の側室・淀殿。父は浅井長政で、母は織田信長の妹・市。同母妹は初、江。子は鶴松、秀頼。猶女は完子。本名は茶々、菊子。秀吉の側室となってからは皆さんご存知だろう。秀吉が登場するドラマには欠かせない人物である。淀殿に「菊子」という名があるのは知りませんでした。淀殿といえば大坂冬の陣・大坂夏の陣なのだが・・・。

三十郎と源次郎

幸村(堺雅人)は德川家康(内野聖陽)の本陣を目指した。

その前には、兄・信之(大泉洋)を当主とする真田本家。

今では真田家の重臣となった矢沢三十郎(迫田孝也)は、こうなることを恐れていた。

若い時から、源次郎(堺雅人)と苦楽をともにした二人は、何も言わなくてもわかっていた。

三十郎(迫田孝也)「源次郎様・・・」

三十郎(迫田孝也)が槍を持って幸村(堺雅人)に突っ込む。幸村(堺雅人)は軽く振り払う。相手にしていない・・・。

源次郎(堺雅人)「小者に構うな!」

源次郎(堺雅人)は家康の首だけを狙ってまっしぐら。その後ろ姿を見て三十郎(迫田孝也)は号泣。

三十郎(迫田孝也)「源次郎様・・・」

BGMは、いつものオープニング曲。そういえば今回はオープニング曲なしで、いきなり有働アナのナレーションで始まった。

源次郎(堺雅人)「目指すは家康の首~、ただ一つ~。」

このシーンは良かった。一番良かったかもしれない・・・。

三十郎(迫田孝也)が泣き叫ぶ姿には感動した!

矢沢三十郎頼康(頼幸)。父は矢沢薩摩守頼綱、第一次上田合戦で奮闘
矢沢三十郎頼康(頼幸)。父は猛将・矢沢薩摩守頼綱。ドラマでは真田家の良きサポート役として描かれている。真田源次郎信繁が上杉景勝の人質に出される際には警護役として同行している。第一次上田合戦では徳川家臣・大久保忠世を震え上がらせたエピソードも残っている。真田家筆頭家老であり、まさに矢沢家あっての真田家である。

堀田作兵衛「弁慶の立ち往生」

形勢は逆転した。次第に幸村(堺雅人)の軍勢も劣勢に・・・。

堀田作兵衛(藤本隆宏)は幸村(堺雅人)を逃がすために、盾みたいな形になり無数の銃弾を浴びる。

その様は、まさに「弁慶の立ち往生」

元競泳選手でオリンピックにも出場した藤本隆宏さんの体格の良さからくるのか。そう見えてしょうがない!

作兵衛(藤本隆宏)の最期の場所は、大坂城内に自身で耕した畑であった。いかにも作兵衛(藤本隆宏)らしい・・・。

最期は背中から大の字のまま倒れる。

死するシーンではあるが、カッコイイ見事な最期を遂げた!

このシーン、生涯、管理人の記憶に残るであろう・・・。

真田信繁(幸村)の側室、堀田作兵衛興重の娘。真田丸では梅
真田信繁(幸村)の側室で堀田作兵衛興重の娘。真田丸では梅という名前で黒木華が演じていると言ったほうがわかるでしょう。残念なことに資料が、ほとんどありません。信繁(幸村)との間には、信繁(幸村)の最初の子「すへ/菊」をもうけています。のちに「すへ/菊」は石合重定/道定に嫁いでいます。

高梨内記の壮絶な死

高梨内記(中原丈雄)は、秀頼(中川大志)たちが脱出のために時を稼ぐ。

しかし多勢に囲まれ、その最期は壮絶!

死の間際、内記(中原丈雄)は大殿・安房守(草刈正雄)の位牌を抱える。

上手く聞き取れなかったが、「大殿~」といったんじゃないかと思う。

作兵衛(藤本隆宏)と同じく、初回から出演している高梨内記(中原丈雄)。

二人の死は涙を誘ってならない・・・。

高梨内記。信繁(幸村)の傅役。九度山に付き従い、大坂夏の陣で戦死
真田信繁(幸村)の傅役であった可能性が高い高梨内記。娘は信繁(幸村)の側室になっている。第一次上田合戦で武功をあげ、関ヶ原の戦い以降は真田昌幸・信繁(幸村)に付き従い、九度山へ同行している。昌幸死後も九度山に残り、信繁(幸村)とともに大坂冬の陣・大坂夏の陣で豊臣方として戦う。大坂夏の陣で信繁(幸村)とともに戦死。

大河ドラマ「真田丸」第50話「最終回」レビュー

第50話「最終回」で、思いついたことをつらつらと・・・。

真田十勇士

本編では気づかなったが真田の兵士たちは、「真田十勇士」であることがエンドロールを見て確認できた。

博多華丸ばかりに気をとられていたので・・・(笑)。

  • 才蔵(霧隠才蔵)-博多華丸
  • 六郎(海野六郎または望月六郎)-八木悠馬
  • 甚八(根津甚八)-岩井秀人
  • 清海入道(三好清海入道)-松村邦洋

  • 鎌之介(由利鎌之介)-梅垣義明
  • 十蔵(筧十蔵)-鈴木拓
  • 伊佐入道(三好伊三入道)-脇知弘
  • 五兵衛(穴山小介・穴山小助)-水嶋勇人

確認できたのは、ここまで。見逃していたら、ごめんなさい(笑)。

真田丸、真田信繁(幸村)と六文銭
2016年1月10日から放映される大河ドラマ「真田丸」を見るにあったて、真田信繁(幸村)を調べてみた。近年ゲームキャラクターとしての真田幸村は凄まじい人気です。「真田十勇士」などの人気も手伝ってキャラクターが実際の真田幸村を超越してるように思われます。こんなこというと夢を壊すようですが。。

佐助は55歳

そして佐助(藤井隆)こと猿飛佐助、55歳(笑)。

管理人はビックリ。TwitterのTLも騒然とした。佐助(藤井隆)の年齢なんて気にしたことなかったから・・・。

このシーン、幸村(堺雅人)の切腹という非常にシリアスな場面であるのだが。

幸村(堺雅人)「長い間、よう仕えてくれた」

佐助(藤井隆)「はっ」

幸村(堺雅人)「いくつになった?」

佐助(藤井隆)「55でございます」

ここで二人は、しばらく沈黙。シリアスなシーンであることを、もう一度言っておく。

幸村(堺雅人)「疲れたろ」

佐助(藤井隆)「全身が痛うございます」

幸村(堺雅人)「だろうな・・・」

ここから幸村(堺雅人)の切腹を思わせる描写になる。

思わせるというのは、明確に切腹という描写はなかった。

なのに幸村(堺雅人)と佐助(藤井隆)の会話は描いた。

少しだけ疑問が残る。

このシーン必要であったのだろうか???

ベタだけど切腹のシーンは描写したほうが良かったのでは・・・。と思う。

豊臣家の馬印・千成瓢箪

德川家康(内野聖陽)の馬印は倒された。家康の馬印が倒されるのは、武田信玄との三方ヶ原の戦い以来2度目。

一方、秀頼(中川大志)は出馬していなかったが、豊臣家の馬印「千成瓢箪」は戦場にあった。

豊臣方の雑兵たちは秀頼公が出馬しているものとして、いい意味で勘違いをし、意気揚々と戦っていた。

開戦しばらく豊臣方は有利に戦いを運んでいた。

秀頼(中川大志)出馬は今と考えた大野修理(今井朋彦)は、自ら説得するために大坂城に引き上げた。

しかし馬印も一緒に引き上げてしまった。これは、確かに修理(今井朋彦)が命じている。

馬印が城に引き上げるのを見た豊臣方の兵士たちは、秀頼(中川大志)が大坂城に引き上げたと思った。

そう思うのも無理はない。本来、馬印は大将と一心同体のものである。

一気に形勢は逆転し、豊臣方は劣勢となった。

結局、豊臣秀頼(中川大志)が出馬することは一回もなかった・・・。

豊臣秀頼。母は淀殿、豊臣家の公達。本当に秀吉の実子なのか?
秀頼が誕生したことにより、多くの人の運命が狂った。別に秀頼のせいではないが、豊臣秀次は典型的な人物であろう。秀次死後、秀吉の期待を一心に背負い秀頼は成長する。豊臣家のプリンス・公達として・・・。豊臣政権の永続を願い崩壊が始まってることに気づかず秀吉は死んだ。そして豊臣政権は永続しなかった・・・。
大野治長。大野修理と呼ばれ、母は大蔵卿局。淀殿との密通は本当?
大野治長といえば、豊臣秀頼の側近で、淀殿との密通の噂があるくらいしか知りませんでした。やはり母が大蔵卿局だからだろうか。大蔵卿局あっての大野治長だと思う。豊臣家滅亡時の重臣というか舵取りをしていたほどの重要人物である。管理人は「大野修理」のほうがしっくりくる。

大坂城に火をつける大角与左衛門

德川の内通がバレてしまった大角与左衛門(樋浦勉)。

幸村(堺雅人)との会話では豊臣家への憎しみが溢れている設定。

与左衛門(樋浦勉)は大坂城の台所に火をつけた。管理人の記憶が正しければ、与左衛門(樋浦勉)は部下に火をつけることを命じたのだったと思う。

はっきりとした内通者としては織田有楽斎(井上順)、大角与左衛門(樋浦勉)だった。

ドラマでは描く必要が無いと思うが、この当時、裏切り者を豊臣秀頼が大坂城から突き落としていたなんて記事を読んだことがあるのを思い出してしまった。

とにもかくにも大角与左衛門を描いたのが凄い。

これこそが三谷幸喜氏のこだわりだろうか・・・?

織田有楽斎(長益)。有楽流を創始、利休十哲の一人。有楽町との関係?
織田長益(有楽斎)。織田信秀の十一男。兄・信長とは年齢が13歳離れている。長益系織田家嫡流初代。「利休十哲(りきゅうじってつ)」の一人にも数えられる。のち茶道「有楽流」を創始。京都建仁寺の正伝院を再興、ここに立てた茶室「如庵」は現在、国宝に指定されている。
「真田丸」第44話「築城」感想。真田丸の完成と内通者は誰だ?
第43話「軍議」は籠城という絶望感で終わった。幸村は籠城なりの策を考える。それが大坂城の南側に出城を築くこと。織田有楽斎と大蔵卿局に邪魔はされたが、大坂五人衆は表立つことが可能になった。豊臣秀頼は牢人たちと戦うことを決断。出城は「真田丸」と名づけられた。この物語のタイトルである・・・。
「真田丸」第45話「完封」感想。毛利勝永にしびれ、高砂ふたたび
ついに大坂冬の陣が始まった。木津川口・今福砦での戦いは豊臣方の劣勢。やはり豊臣方の内情が漏れている。徳川方の内通者は誰なのか?なんとか太閤・秀吉の恩に報いたい福島正則と平野長泰。ひとりひとりの思いが錯綜する。第45話「完封」は見どころ満載である・・・。

夢のまた夢

出家して高台院と呼ばれる寧(鈴木京香)と片桐且元(小林隆)が大坂城落城を回想する。

寧(鈴木京香)「すべては夢のまた夢」

のセリフが印象的。

これは有名な秀吉の辞世の句からの一文。

「露と落ち 露と消へにし わが身かな 浪速(なにわ)のことは 夢のまた夢」

且元(小林隆)は涙を浮かべる。

且元(小林隆)が豊臣家にいれば、もう少し違った展開にはなったのか??

歴史の皮肉さというか、豊臣家は天下に愛されなかったのか・・・?

高台院(北政所)。豊臣秀吉の正室、後陽成天皇より従一位を賜る
高台院(北政所)。諱には諸説あり、「ねね」とされることが多いが「おね」「祢(ね)」「寧(ねい)」という表記もある。「寧」「寧子」「子為(ねい)」などと記されている事から「ねい」説もある。位記には「豊臣吉子」の表記もある。法名は高台院湖月心公。豊臣秀吉の正室。兄は木下家定、甥に小早川秀秋がいる。
片桐且元。賤ヶ岳の七本槍と称され、豊臣家家老。のち徳川家に出奔
片桐且元といえば賤ヶ岳の七本槍であり、豊臣政権の奉行職を歴任した。豊臣家家老にまでなっている。片桐氏は信濃源氏の名族であり、官位は従五位下・東市正(ひがしのいちのかみ)。豊臣姓まで下賜されている。同じ豊臣恩顧の加藤清正・福島正則の様なイメージはない。通称は助佐・助作。

きりはナレ死ではなかった

前回の感想記事では、まるで「きり(長澤まさみ)」の出番が無いような書き方をしてしまいましたが・・・。

ごめんなさい。今回も、ちゃんと出番はありました(笑)。

幸村に命じられたとおり、無事、千姫(永野芽郁)を救出しました。

思えば「きり(長澤まさみ)」のキャラクター設定は物議を醸したものだ。

でも、終わってみると真田丸は「きり(長澤まさみ)」なしでは考えられなかった。

きり(長澤まさみ)ちゃん・・・、一年間ご苦労さまでした。

【真田丸】長澤まさみの「きり」、最初は??最近は好きになった!
大河ドラマ「真田丸」が始まってみると、長澤まさみさんが演じる「きり」というキャラクターが物議をかもした。賛否両論あったが、大多数は否定的な意見であった。その当時、管理人も少し否定的に思っていた。しかし最近では、そのような意見を目にすることはなくなった。そして管理人も好意的に思えてきた。
真田信繁(幸村)の側室、高梨内記の娘。真田丸では「きり」
真田信繁(幸村)の側室で高梨内記の娘。真田丸では「きり」という名前で長澤まさみが演じていると言ったほうがわかるでしょう。信繁(幸村)との間には、次女・於市、三女・阿梅(片倉重長後室)をもうけています。九度山にも同行している。阿梅は片倉小十郎重長の後室になり、信繁(幸村)の次男・大八も片倉家に養育されたといわれています。
千姫(天樹院)。秀頼の正室。大坂夏の陣後は本多忠刻の正室
千姫(天樹院)。父は徳川秀忠。母は継室・江(崇源院)。大坂夏の陣により夫・秀頼と別れる悲劇のヒロインのイメージが強い。そのイメージが強すぎるからか、本多忠刻の正室としての千姫は、あまり知らなかった。そして天寿を全うしている・・・。

死するシーンが無いのは斬新なのか??

前述したとおり、主要人物ではっきりと最後を描いたのは堀田作兵衛(藤本隆宏)と高梨内記(中原丈雄)だけ。

これはどうなんだろう・・・???

幸村(堺雅人)の最期はもちろん、勝手に毛利勝永(岡本健一)が秀頼(中川大志)を介錯するシーンを想像していただけに・・・。

なんかはぐらかされたというか、肩透かしを食らったような気持ちになってしまった。

思いっきり、悲しむのを想定してただけに、ちょっと残念に思える。

個人的には、ベタでもいいから主要人物の最期のシーンは見たかった。

それともこれが斬新な演出なのだろうか?制作側は、薩摩に落ち延びた説を採用したのだろうか・・・??

サブタイトルがないのも含めて、視聴者それぞれの「真田丸」があっていいとは思うのだが。

なんだろう、この何とも言えない複雑な気持ちは・・・。

毛利勝永。大坂五人衆とよばれ、大坂夏の陣では豊臣秀頼を介錯
豊臣家の譜代である毛利勝永。大坂五人衆のひとりである。父は毛利勝信(森吉成)。尾張出身で官位は従五位下・豊前守。名前は森吉政、毛利吉政、毛利勝永。通称は豊前守。号は一斎。兄弟は弟・吉近(山内勝近)。「真田丸」ではジャニーズ事務所所属の元男闘呼組・岡本健一が演じる。毛利勝永といえば大坂冬の陣・大坂夏の陣なのだが・・・。

信之の六文銭が鳴ったのは、源次郎が無事に三途の川を渡った証

真田信繁(幸村)と六文銭-アイキャッチ画像

源三郎(大泉洋)と源次郎(堺雅人)。二人は愛する人から貰った「六文銭」でつながっていた。

愛する人とは梅(黒木華)と「おこう(長野里美)」のこと。

源三郎(大泉洋)の御守袋に入っている六文銭が鳴った。

源三郎(大泉洋)はすべてを悟った。弟・源次郎(堺雅人)が死んだことを・・・。

源三郎(大泉洋)は、源次郎(堺雅人)の声を聞いたに違いない。

源次郎(堺雅人)「兄上、無事三途の川を渡りもうした」

そう「六文銭」は三途の川の渡し賃といわれる。

ドラマは有働アナのナレーションで終わる。

有働アナ「これより七年後、真田信之は松代藩十万石の大名となった」

有働アナ「そして幕末、松代藩は、徳川幕府崩壊のきっかけを作る天才兵学者・佐久間象山を生み出すことになるのだが、それはまだ遠い先の話である」

意味深なナレーションとも感じられるが・・・。

真田丸は終わった。

なんだかんだ言いながら、管理人は「真田丸ロス」になったことは言うまでもない・・・。

真田信幸(信之)と本多平八郎忠勝の娘、正室小松姫
弟真田信繁(幸村)と違って地味な印象がある真田信幸(信之)。しかし関ヶ原の戦い、大坂の陣を乗り越え真田家を残すのは真田信幸(信之)である。そして信幸(信之)の真田家は幕末まで残り、明治維新をむかえる。その血筋は現在まで残る。信幸(信之)の正室は本多平八郎忠勝の娘、小松姫である。この二人に焦点をあてて記事投稿をします。
清音院殿、真田信幸(信之)の正室で信吉を産む。真田丸では「こう」
真田丸では「こう」という名前で、女優・長野里美が演じている清音院殿。清音院という名前は戒名からである。真田信幸(信之)の正室で長男・信吉を産みます。父は真田信綱。母は於北殿(高梨政頼の娘または妹)。のちに信吉は沼田城主になっている。大河ドラマ・真田丸での「おこう」は病弱ではあるが、魅力的なキャラクターになっています。

「真田丸」第50話「最終回」視聴率

堺雅人主演の大河ドラマ「真田丸」第50話「最終回」が2016年12年18日放映された。平均視聴率は14.7%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。

前回より少しダウン。ダウンか~という感じです。最終回だっただけに・・・。

全体を通しての平均視聴率は14.7%。

「早丸」と呼ばれるBS視聴率は5.6%。BSは好調をキープ!

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まとめ

まず最終回を見終えた感想は、真田丸が終わってしまったという悲しい気持ち。

これこそ「真田丸ロス」・・・。

それに比べれば、少しの個人的な管理人の苦言などはどうでもよい。

近年、こんなに集中して大河ドラマを見た記憶がない。それも一話も見逃さず。これは管理人にとって凄いこと!

ズボラな管理人が、生意気に真田丸の感想記事を書いてしまった。

最初は何気なく始めてしまった感想記事だが一年間書ききった。管理人もビックリです。

そして、この場を借りて感謝の気持ちを述べたいと思います。

管理人の感想記事を見てくださった方、本当にありがとうございました。

真田丸よ、一年間ありがとう!!真田丸よ、永遠なれ・・・!!!

「望みを捨てなかったものにのみ道は開ける・・・」

それでは感謝の気持ちでしめます。いつもありがとうございます・・・。by aki(@aoplanning_com)

お読みくださってありがとうございました。それでは。

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