新町薬師堂。真田家密談、犬伏の別れの舞台。別れ橋・米山古墳

【武将ゆかりの地】新町薬師堂。真田家密談、犬伏の別れの舞台,アイキャッチ画像
この記事の所要時間: 720(文字数:4,409文字)

関東に在住する管理人が「新町薬師堂」に行ってみた。大河ドラマ「真田丸」第35話「犬伏」に遅れること一週間。念願の「新町薬師堂」だ。真田家ファンにとっては、聖地のような場所である。昼食は森田屋総本店。同日、足を伸ばして行った「史跡・小山評定跡」にも触れる。

こんにちは、こんばんは、はじめまして、毎度です(笑)。aoplanning.comの管理人aki(@aoplanning_com)です。

犬伏の別れの舞台といわれる「新町薬師堂」について記事投稿してみたいと思います。

それではいってみよう!

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新町薬師堂を訪ねて

【武将ゆかりの地】新町薬師堂。真田家密談、犬伏の別れの舞台,画像01

大河ドラマ「真田丸」第35話「犬伏」に遅れること一週間、栃木県佐野市犬伏新町の「新町薬師堂」を訪ねた。

管理人は勝手に感動した!だって、あの「犬伏の別れ」の舞台だよ(笑)。

真田丸効果により、訪れる人は平均3~400人。例年の10倍だそうです。

真田丸恐るべし!

ここで真田家のこれからを話しあい、真田昌幸・信繁は西軍に、真田信幸は東軍に味方することを決めたのかと思うと感慨深い・・・。

所在地および交通アクセス

新町薬師堂。真田家密談、犬伏の別れの舞台。別れの橋・米山古墳,画像0101

画像は日曜日の15:30くらいの新町薬師堂。前回訪れた時は、ちょうど「真田丸」での犬伏の別れの頃。旬な時期ではないが、管理人ともう一人しかおらず。ちょっと寂しすぎる・・・。

それにしても、真田ののぼりに隠れていたので、「史跡・米山古墳」の碑の存在を初めて知りました(笑)。

所在地、交通アクセスなどを記述。

ちなみに管理人は車で行きました。

  • 所在地:〒327-0803 栃木県佐野市犬伏新町2060番地2他
  • 電話:0283-27-3011

例幣使街道(75号線)沿いの「米山古墳」の裾。佐野駅方面から車で向かうと反対車線側にある「赤いお堂」が目印。

ちょうどカーブに位置するので、反対方向からは見逃してしまうかもしれませんので気をつけてください。

駐車スペースは狭いです。道路の反対側に臨時駐車場がありましたが、それでも数台程度でしょうか。

電車・バスを利用する方は、JR両毛線で「佐野駅」下車。佐野駅前からバス犬伏循環線(左回り) 「犬伏新町」バス停下車。徒歩2~3分。

バスの本数は少ないです。帰りはタクシーの選択肢もありますが、はたしてタクシーが通るかが問題・・・。

道路の反対側にコンビニがあるので、タクシー会社を聞き、呼んだほうが早いと思います。

犬伏の別れ

【武将ゆかりの地】新町薬師堂。真田家密談、犬伏の別れの舞台,画像02

「犬伏の別れ」について。

1600年(慶長5年)7月21日、会津・上杉討伐に向かっていた真田昌幸・信幸・信繁父子は、下野国犬伏(現在の佐野市)に到着し陣を張った。そこへ石田三成から豊臣方に味方するよう旨の密書が届いた。

この密書により父子三人で話し合い、どちらが勝っても真田の家が残るよう、信幸が徳川方、昌幸と信繁が豊臣方に分かれて戦うことを決断。これが「犬伏の別れ」といわれている。

どちらが勝っても真田の家が残るようにいうことには、賛否両論があるだろうが・・・。

詳細は記事投稿してますので、よろしければ参考にしてみてください。

犬伏の別れ。関ヶ原の戦いを前にした真田父子の別れ
関ヶ原の戦いを前に、下野国犬伏(現在の佐野市)で真田昌幸、信幸、信繁父子は話し合いをする。信幸が徳川方、昌幸と信繁が豊臣方に分かれて戦うことを決断。「犬伏の別れ」である。どちらが勝っても真田の家が残るようにと言われている。信幸(信之)の正室の養父は徳川家康であり、信繁(幸村)の正室の父は大谷刑部少輔吉継であるのだか。
会津征伐。直江状により上杉征伐を決意、関ヶ原の戦いの幕開け
太閤・豊臣秀吉の死後、豊臣政権の五大老筆頭・徳川家康は台頭した。ことごとく秀吉の遺命に背いた。勝手に諸大名の屋敷を訪れ、諸大名との縁組を行った。石田三成襲撃事件・徳川家康暗殺疑惑事件により、政敵・石田三成、前田利長を追い落とした。次のターゲットは、会津の上杉景勝。しかし会津征伐の真の狙いは・・・。
石田三成。三献茶から佐和山城主、五奉行の一人~関ヶ原の戦い
石田三成は秀吉が天下人になると秀吉の子飼いから次第に台頭する。確かに三成は槍働きの武将ではない。忍城水攻めの失敗から戦下手のイメージもある。秀吉の子飼いでも福島正則などとは正反対の武将だ。歴史とは勝者が都合よく伝えたものがほとんどである。三成の研究が進むことを望む。でもなんだろう石田三成のことを思うと切なくなる・・・。

河原綱家と下駄

「犬伏の別れ」には、もう一つ逸話があります。

真田家臣・河原綱家が覗くなと言われた犬伏の密談を覗き、真田昌幸に下駄を投げられ前歯を折るという有名な話がある。

綱家は、それ以降一生「すきっ歯」となってしまった。

この話は真田丸でも取り上げられている。下駄ではなかったが・・・。

河原綱家。犬伏の密談を覗き、真田昌幸に下駄を投げられ前歯を折る
河原綱家といえば、犬伏の密談を覗き、真田昌幸に下駄を投げられ前歯を折ることで有名である。綱家は、それ以降一生「すきっ歯」となってしまった。管理人も河原綱家に関する情報は、下駄しかなかったので調べてみた。
「真田丸」第35話「犬伏」感想。治部と刑部の挙兵~犬伏の別れ
徳川内府(だいふ)が上杉・会津征伐の留守中に治部殿は刑部殿を味方に引き入れ挙兵。真田家の方針は、会津征伐に従軍する振りをして家康を倒すことだった。しかし安房守より早くに豊臣方は決起し挙兵してしまった。そして安房守・伊豆守・左衛門佐の三人だけの会談が始まる。三人が出した答えとは・・・。

別れ橋

新町薬師堂。真田家密談、犬伏の別れの舞台。別れの橋・米山古墳,画像0102

画像は真田父子が別れたとされる「別れ橋」

現在は川・橋もなく、この案内板のみ。新町薬師堂から道路を挟んだ場所に位置する。

新町薬師堂に行けばわかると思います。たしか隣には蕎麦屋があったと思います。

新町薬師堂。真田家密談、犬伏の別れの舞台。別れの橋・米山古墳,画像0103

画像は新町薬師堂にある「別れ橋」の案内板。

前回来た時、この案内板あったのかなと記憶をたどる。あれば写真撮影してるはずだが・・・。

新町薬師堂に来るのは、二度目だが人がほとんどいなかったのには驚いた。

前回から一ヶ月半くらいしかたってないのだが・・・。

森田屋総本店

森田屋総本店,画像01

昼食は森田屋総本店で佐野ラーメンを食する。

「新町薬師堂」から車で2kmくらいであろうか。「新町薬師堂」からは佐野駅方面に向かって走る。

食べログなどのネットでの評判が良かったので、この店を選びました。

慌てていたので、写真を撮るのを忘れました。森田屋総本店に行く機会がありましたら、画像を投稿します。申し訳ありません・・・。

とにかく行列が凄かったです!

メニュー

基本的に中華そば、チャーシューメンのみ。「中華そば」は佐野ブランド。

これぞ佐野ラーメンという手打ちのちぢれ麺。スープは鶏ガラをベースにした、あっさりとした醤油味。あきがこないといった感じ。

管理人が注文したのはチャーシューメン。

美味しかった!

印象的なのはモチモチした麺。ラーメンというよりは、うどんを食べているような感覚にもなる。

まさに中華そばの王道をいくようなラーメン。

行列が苦にならない人は、是非おすすめです!

営業時間および交通アクセス

営業時間、交通アクセスなどを記述。

  • 住所:〒327-0843 栃木県佐野市堀米町70
  • TEL:0283-22-2318
  • 定休日:水曜日
  • 営業時間:11:00~19:00頃(14:00から2時間休憩)

JR佐野駅から1.1km(徒歩14分)。東武佐野線の佐野駅からも距離は同じくらい。

  1. 国道50号を前橋から水戸方面へ走行。
  2. 「植木町」の次の信号先の立体交差を下り「高萩」信号左折。
  3. 県道16号「佐野・田沼線」を田沼方面へ。
  4. 「浅沼町」信号を越え、両毛線の陸橋を越えた先の「堀米町」信号左折。
  5. 一つめの信号越えて約200m先左手。

駐車スペースは38台。

手打ちの為、麺が無くなりしだい営業は終了。

大庵寺

大庵寺。もう一つの「犬伏の別れ」、小山評定後は徳川秀忠の宿所,画像02

すっかりラーメンの話になってしまった(笑)。

「犬伏の別れ」のもう一つの説になっているのが「大庵寺」。

新町薬師堂からも近いようです。

  • 所在地:栃木県佐野市犬伏下町2285
  • アクセス:東武佐野線の堀米駅から2.2km
  • 電話:0283-22-6360
  • 宗派:浄土宗

機会があったら行ってみたいです。

ということで行ってきました「大庵寺」。

詳細は記事投稿してますので、よろしければ参考にしてみてください。

大庵寺。もう一つの「犬伏の別れ」、小山評定後は徳川秀忠の宿所
関東に在住する管理人が栃木県佐野市の「大庵寺」に行ってみた。大庵寺を、もう一つの「犬伏の別れ」の地とする説がある。小山評定により会津征伐を取りやめ西上する事が取り決められた徳川秀忠が転進した際、大庵寺を宿所として利用したと伝えられている。新町薬師堂からは、すぐ近くです。

史跡・小山評定跡

【武将ゆかりの地】史跡・小山評定跡。東軍諸将結束の軍議の場所,画像01

実は、この日は「史跡・小山評定跡」「小山御殿跡」にも足を伸ばしている。

足を伸ばすといっても、「新町薬師堂」から車で12~13kmと記憶する。

詳細は記事投稿してますので、よろしければ参考にしてみてください。

史跡・小山評定跡。東軍諸将結束の軍議の場所、小山御殿跡
関東に在住する管理人が「史跡・小山評定跡」に行ってみた。慌ただしく大河ドラマ「真田丸」第36話「勝負」放送日の前日に訪れた。事前に調査しないで行ったので、隣の敷地に「小山御殿広場」があるのを知らなかった。徳川家にとっては、縁起の良い場所になり、歴史的にも重要な場所である。小山評定にも触れています。

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2016年大河ドラマ「真田丸」レビュー記事

真田家に関する記事

徳川家に関する記事

羽柴(豊臣)家に関する記事

まとめ

新町薬師堂の記事のつもりが、森田屋総本店の記事も書いてしまいました。

新町薬師堂、良かったです。真田家ファンの方は是非。

真田にとっては聖地とも言える場所ではないでしょうか・・・。

それでは感謝の気持ちでしめます。いつもありがとうございます・・・。by aki(@aoplanning_com)

お読みくださってありがとうございました。それでは。

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