大河ドラマ「真田丸」での太閤・豊臣秀吉の最期。異変を感じた秀吉は「ベル」を探したが、所定の場所にはなかった。ベッドから落ちても這いつくばって「ベル」の所まで行こうとした。天下人として栄華を極めた秀吉は「ベル」を鳴らすことができなかった。誰にも気づかれず秀吉は逝った・・・。
こんにちは、こんばんは、はじめまして、毎度です(笑)。aoplanning.comの管理人aki(@aoplanning_com)です。
大河ドラマ「真田丸」で太閤・豊臣秀吉が鳴らすことができなかった「ベル」に着目してみる。
それではいってみよう!
目次
第31話「終焉」での「ベル」
最初、「ベル」は寝ている秀吉(小日向文世)の手の届く台に置かれていた。
ベルを鳴らして人を呼ぶように源次郎信繁(堺雅人)が用意しておいた。秀吉(小日向文世)の状態からして、大きな声が出せないからだろう。
秀吉(小日向文世)は、無邪気に用もないのにベルを鳴らしていた・・・。
無邪気といえば、秀頼が秀吉(小日向文世)を見舞った時、「良い音じゃ」とベルを鳴らした。
そして台には置かないで、「ベル」を放り投げたのだろう。
のちに、これが命取りになる・・・。
ベルに手が届かなった秀吉の最期
1598年(慶長3年)8月18日、巨星墜つ。秀吉の遺言により死は隠されたため、通夜・葬儀はとりおこなわれてないと伝わる。
秀吉には複数の死因説が存在する。
真田丸で「秀吉の最期」のシーンでは、ベルに手が届いていない。欲しいものは何でも手に入ったであろう秀吉がだ・・・。
栄華を極めた天下人である太閤・豊臣秀吉が、たかがベルを鳴らすこともできなかった。
このあたりが、「秀吉の最期」のシーンは寂しいと言われる所以だろうか・・・。
なぜ「ベル」に手が届かなかったのか?
なぜ「ベル」に手が届かなかったのだろうか?
それは、豊臣秀次(新納慎也)・キリシタンの大工・吉蔵(水橋研二)こと「フランシスコ吉」らの思いではなかろうか・・・。
無念の死を遂げた豊臣秀次。サン・フェリペ号事件のとばっちりをくう形になり、処刑されてしまったフランシスコ吉。その死は「日本二十六聖人殉教」と呼ばれる。
放送回では、きり(長澤まさみ)が秀吉の死期が近い時に、「自業自得」と言っている。どう考えても秀吉に対して、よく思っていない。
きり(長澤まさみ)に近い人が秀吉によって死んだ。いや殺された。
キリシタン・バテレンの思いが、秀吉に「ベル」を鳴らさせていない。というのが管理人の感じたことである。
あのシーン「ベル」なんて小道具がなくてもよかったはずだ。それを「ベル」を小道具として使ったということは・・・。
「ベル」と「鐘」ではあるが、豊臣家と鐘との因縁である「方広寺鐘銘事件」への伏線になっていくのではと思っている・・・。
そういえば秀吉の寝所の隣の部屋には、片桐且元(小林隆)がいたはずだ。
片桐且元と「方広寺鐘銘事件」・・・。
方広寺鐘銘事件
真田丸で「方広寺鐘銘事件」は、第40話「幸村」で描かれた。
片桐且元(小林隆)が信繁(堺雅人)に回想という形で語りかけた。
方広寺鐘銘事件が遠因になり且元(小林隆)は失脚。大坂城を退去する。
前半部分の主役は片桐且元(小林隆)であり、見所ある放送回だったので、機会があれば視聴してください。
なかなか南禅寺の長老・清韓(植本潤)が興味深いです!
詳細は記事投稿してますので、よろしければ参考にしてみてください。
「黄金の日日」で助左衛門が鳴らしたバテレンの鐘
バテレンと鐘といえば、管理人は大河ドラマ「黄金の日日」を思い出す。
石川五右衛門刑死の時、助左衛門が何度も鳴らした鐘。
五右衛門に届けとばかりに鳴らした鐘の音が忘れられない・・・。
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まとめ
こじつけではあるが、秀吉がベルに届かなかったことについて書いてみた。
管理人は、こんな風に考えながら「真田丸」を見て楽しんでいる!
いろんな観点から見れるのも、「真田丸」が素晴らしいドラマだからだと思ってます。
それでは感謝の気持ちでしめます。いつもありがとうございます・・・。by aki(@aoplanning_com)
お読みくださってありがとうございました。それでは。