「真田丸」第24話「滅亡」感想。小田原落城~天下一統

「真田丸」第24話「滅亡」感想。小田原落城~宇都宮仕置,アイキャッチ画像
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大河ドラマ「真田丸」が真田家を描いたドラマなのはわかっている。ここ数回は丁寧に北条を描いてきただけに少し残念に思った放送回だった。小田原を拠点とした北条家による関東支配が終わった。北条氏政の最期は見事であり、北条家が好きになった。少し残念に思ったけど、こんなに丁寧に北条を描いたドラマもないだろう・・・。

こんにちは、こんばんは、はじめまして、毎度です(笑)。aoplanning.comの管理人aki(@aoplanning_com)です。

第24話「滅亡」。管理人の中では神回になるはずだった・・・。

歴史好きの管理人が大河ドラマ「真田丸」レビューを好き勝手に記事投稿します。

それではいってみよう!

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大河ドラマ「真田丸」第24話「滅亡」あらすじ

源次郎信繁は北条氏政に面会した。氏政の顔は薄化粧を通り越し、お化けみたいに真っ白である。最初は源次郎信繁を殺そうとした氏政も徐々に話しを聞き始める。

源次郎信繁が北条支城が次々に落ちていることを伝える。その中には因縁の沼田城の名前もあった。氏政は東国の覇者にはなれなかった。氏政の「日の本を分ける大いくさをやってみたかったわ」と言う言葉で、氏政の無念さが伝わる。

ついに北条氏直が秀吉に降伏した。秀吉は約束を反故にし、氏政には切腹を命じる。最初から氏政は死を覚悟している。1590年(天正18年)7月11日、北条氏政が切腹。享年53。

治部殿は忍城攻略に手こずっていた。小田原が開城しても必死の抵抗が繰り返されている。治部殿の表情は完全にやつれている。忍城は安房守の策により開城した。

小田原開城後、豊臣軍はそのまま北上し宇都宮城に着陣。いわゆる宇都宮仕置である。伊達政宗による酒宴が開かれた。

政宗は皆に「ずんだ餅」を振る舞った。安房守は政宗と手を組んでひと暴れしようと思っていただけに、政宗の餅つきに唖然としている。

安房守は秀吉から、小県・沼田を安堵され、徳川家康の与力も解除された。安房守は無邪気に喜んだ。そこにひと暴れしようとする気概のある安房守は居なかった。

京・聚楽第に戻った秀吉は、みなの前で「天下一統」宣言をする。

「関ヶ原の戦い」まであと10年・・・。

真田家と沼田城。真田信幸(信之)の正室・小松姫の逸話と平八岩。
沼田領問題のもとになる沼田城。交通の要所であり、各大名から見ても真っ先に取得したい城であった。事実、城の支配者は何回か交代する。豊臣秀吉による小田原征伐の火種にもなっている。紆余曲折ありながら、北条家滅亡後は、ふたたび真田家の支配となる。小松姫の逸話と平八岩を紹介しながら、おもに真田家と沼田城についての記事投稿です。

後北条氏降伏

北条氏政。早雲より四代目、関八州の覇者たる誇りと自信を背負い込む,アイキャッチ画像

汁かけ飯で登場した北条氏政(高嶋政伸)は、切腹の前にも汁かけ飯を食した。汁かけ飯で始まり、汁かけ飯で終わった。

鬼気迫るメイクというか表情から一転して、降伏後の氏政(高嶋政伸)の表情は、取り憑かれたものが全て落ちたような表情をしていた。

北条氏政を演じた高嶋政伸の演技も、終始素晴らしかった!

徳川家康(内野聖陽)・上杉景勝(遠藤憲一)・真田安房守(草刈正雄)が最後の説得をするシーンは良かった。

氏政(高嶋政伸)を含めた4人は死闘を繰り返してきた。

景勝(遠藤憲一)は氏政に武士(もののふ)にとっての最高の賛辞を送る。

「良き戦相手でござった」

この言葉が全てだろう。

氏政(高嶋政伸)が「ここまででござる」といった時の表情にはぐっときて涙しそうになった。

北条氏政。早雲より四代目、関八州の覇者たる誇りと自信を背負い込む
北条氏政。大河ドラマ「真田丸」では徳川家康演じる内野聖陽が「早雲より四代目、関八州の覇者たる誇りと自信を背負い込む」と評している。父は名将と評された北条氏康。そして氏政は隠居の身であったが、小田原北条氏を滅亡させた事実上の当主としてのレッテルがついてまわる。後北条氏4代当主・北条氏政とは・・・。

のちの後北条家

北条氏政の切腹であるが、史実では弟・氏照も切腹している。

介錯は氏政の弟・北条氏規。氏規は介錯後、自分も死のうとしたところを徳川家臣らに止められている。井伊直政・榊原康政らも居たとされる。

剃髪後の北条氏直(細田善彦)が出家姿のシーンがあった。場所は高野山だろう。

タイトルが「滅亡」となっているが、北条宗家は後も存続した。

のち氏直は秀吉に赦免され、河内・関東に1万石を与えらる。これからという時の1591年(天正19年)11月4日、大坂で病死。享年30。死因は疱瘡であったとされている。

氏直の死後、氏規の嫡子・北条氏盛が氏直の名跡と遺領の内4,000石を相続。

1598年(慶長3年)、氏規の跡を継いで1万1千石の大名となる。北条宗家は河内狭山藩主として幕末まで存続。

氏直には二人の娘がいたが、長女は夭折。次女は池田利隆の許婚となったが1602年(慶長7年)に17歳で病死している。

北条氏直。後北条氏5代当主、父は北条氏政、義父は徳川家康
後北条氏5代当主である北条氏直。どうしても最後の当主のイメージがある。父・氏政が存命であったこともあるが、何かイメージが悪かった。小田原開城後、父・氏政は切腹になったが、氏直は赦免されている。徳川家康の婿であったことも大きいが、氏直は北条家再興のこれからという時に死んでしまった・・・。

板部岡江雪斎

第21話「戦端」から第24話「滅亡」の板部岡江雪斎(山西惇)は良かった。

またドラマ「相棒」での「ヒマ課長」とは違った俳優・山西惇が見れた。素晴らしいです!

板部岡江雪斎(山西惇)は一礼し、走り去っていった。

史実の板部岡江雪斎は秀吉の御伽衆になり、秀吉の死後は家康に仕えている。

有働アナのナレーションがなかったので、後も出演してほしいものである。

板部岡江雪斎。北条三代の外交僧、北条滅亡後は秀吉・家康に仕える
北条三代(氏康・氏政・氏直)に仕えた外交僧・軍師である板部岡江雪斎。後北条家滅亡後は豊臣秀吉・徳川家康に仕えている。千利休の高弟・山上宗二と交流があり、和歌・茶の湯にも造形が深かったと言われる。愛刀の江雪左文字は国宝であり、執権・北条氏(北条時行)の子孫とされる。

死の商人・千利休

源次郎信繁(堺雅人)は北条家臣になっていた義兄・小山田茂誠(高木渉)に危ないところを助けられた。

蔵に連れて行かれるのだが、源次郎信繁(堺雅人)が蔵で見たものは大量の鉛だった。北条家は籠城に備え大量に鉛を買い込んでいた。鉛は溶かして鉄砲の弾になる。

鉛には魚の刻印があった。そう千利休(桂文枝)の屋号は「魚屋(ととや)」だ。利休(桂文枝)は茶人でもあるが、商人でもある。

源次郎信繁(堺雅人)は大谷刑部(片岡愛之助)とともに蔵に行くが、そこには何もなかった。利休(桂文枝)が鉛を引き上げていた。

利休(桂文枝)は秀吉(小日向文世)の側近でありながら、敵方に武器を売っていた。武器商人は「死の商人」ともいわれる。

ここ数回の記事投稿では山上宗二にも触れていたのだが、利休(桂文枝)を死の商人の設定にしたかー。

第25話「別離」の予告では千利休(桂文枝)の切腹シーンが・・・。

千利休(宗易)。織田信長の茶頭から豊臣秀吉の側近へ、わび茶を完成
堺の商家の生まれで、商人・茶人の千利休(宗易)。わび茶(草庵の茶)の完成者であり、「利休七哲」など数多くの弟子を抱え、茶聖と称された。今井宗久・津田宗及と共に茶湯の天下三宗匠。天下人・豊臣秀吉の側近の一面もあり、茶人として名声と権威を誇った。「黄金の茶室」の設計でも有名だが、利休の茶道とはかけ離れたものだろう・・・。
真田信繁(幸村)が最後の手紙を送った義兄・小山田茂誠とは?
小山田茂誠は真田信幸(信之)、真田信繁(幸村)の義兄になります。真田信繁(幸村)の最後の手紙が小山田茂誠に宛てた手紙になります。正室は真田昌幸の長女で、信幸(信之)、信繁(幸村)の姉・村松殿。小山田信茂刑死後、いったんは北条氏政に仕えるが、その後真田昌幸、信幸(信之)に仕える。そして真田松代藩の次席家老を代々つとめる。
大谷刑部少輔吉継。義の人、石田三成との友情~関ヶ原の戦いで散る
大谷吉継の前半生は少し謎の部分が多いです。「秀吉の隠し子説」は根拠がないが好きな話です。奉行としては優秀だったようです。大谷刑部に関しては賛否両論があり過大評価なんて声もあります。あまり解明されていないからミステリアスでもあり、人気があるのかもしれません。やはり関ヶ原の戦いでの強烈な奮戦と死に様でしょうか・・・。

伊達藤次郎政宗と真田源次郎信繁

宇都宮城で源次郎信繁(堺雅人)と伊達藤次郎政宗(長谷川朝晴)のシーンがある。

源次郎信繁と政宗・片倉小十郎景綱は、のち大坂夏の陣で深く関わる人物になる。

その辺のことは、以下の記事を参考にしてみてください。

真田信繁(幸村)の側室、高梨内記の娘。真田丸では「きり」
真田信繁(幸村)の側室で高梨内記の娘。真田丸では「きり」という名前で長澤まさみが演じていると言ったほうがわかるでしょう。信繁(幸村)との間には、次女・於市、三女・阿梅(片倉重長後室)をもうけています。九度山にも同行している。阿梅は片倉小十郎重長の後室になり、信繁(幸村)の次男・大八も片倉家に養育されたといわれています。

宇都宮仕置

伊達藤次郎政宗(長谷川朝晴)の「ずんだ餅」がインパクトがありすぎたが、史実では宇都宮城で関東・奥州の諸大名に対して戦後措置を行っている。

源頼朝が奥州合戦の際、1189年(文治5年)7月19日に鎌倉を発ち宇都宮で宇都宮大明神に奉幣し奥州を平定したことに倣っているといわれる。

秀吉は後北条氏の降伏後、1590年(天正18年)7月17日に鎌倉・鶴岡八幡宮を参詣し、1590年(天正18年)7月19日に鎌倉を出立している。

出発は頼朝と同じ日だ!

宇都宮仕置。秀吉が源頼朝に倣い関東・奥州の諸大名に行った戦後措置
1590年(天正18年)7月13日、関白・豊臣秀吉は相模国・後北条氏を降伏させた。これにより天下一統を成し遂げる。秀吉は源頼朝に倣い宇都宮という土地を選び、宇都宮城で関東・奥州の諸大名に戦後措置を行っている。宇都宮仕置と呼ばれる。ここで秀吉は、その後の奥州仕置の方針についても決定している。

天下一統

前述しているが、秀吉(小日向文世)が聚楽第で「天下一統」を宣言している。「天下統一」というのは江戸時代以降の言葉らしい。この辺のこだわりが素晴らしい!

おそらく奥州仕置は飛ばされたのであろう。

第25話「別離」では、大和大納言(千葉哲也)・千利休(桂文枝)・鶴松の死が予想される。少しでもいいから大和大納言(千葉哲也)の死を扱って欲しいと思う。

天下一統を果たし頂点を極めたように見える豊臣家であるが、豊臣家の崩壊は始まりつつある・・・。

豊臣秀長。兄・秀吉を支える豊臣家の良識、大和宰相~大和大納言
羽柴(豊臣)秀長。兄・秀吉を支える豊臣家の良識。もとは尾張国中村生まれの百姓である。兄・秀吉が天下人になると100万石を超える大大名になった。領地と官位から大和宰相、大和大納言と呼ばれた。豊臣政権では政権運営の調整役であり、政権の安定には欠かせぬ人物だった。また秀吉に異を唱え制御できる唯一の人物であったのだが・・・。

大河ドラマ「真田丸」第24話「滅亡」レビュー

忍城を攻略できないでいる治部殿(山本耕史)。表情も冴えず、やつれている。

小田原城が開城しても忍城は落ちていない。

安房守(草刈正雄)は治部殿(山本耕史)が嫌いな策により、忍城を開城させるというのだ。血のついていない氏政の兜を取り出して、「氏政は自分だけ助かるために命乞いをした」という噂を忍城内に流すという。

安房守(草刈正雄)の策は見事に成功し、忍城は開城した。

治部殿(山本耕史)は安房守(草刈正雄)に「戦の何たるかを教えてくれ」と頼んでいる。

そこには人間・石田三成がいた・・・。

石田三成。三献茶から佐和山城主、五奉行の一人~関ヶ原の戦い
石田三成は秀吉が天下人になると秀吉の子飼いから次第に台頭する。確かに三成は槍働きの武将ではない。忍城水攻めの失敗から戦下手のイメージもある。秀吉の子飼いでも福島正則などとは正反対の武将だ。歴史とは勝者が都合よく伝えたものがほとんどである。三成の研究が進むことを望む。でもなんだろう石田三成のことを思うと切なくなる・・・。
のぼうの城、石田三成が落とせなかった行田市忍城と成田氏
映画「のぼうの城」を見る機会があったので、行田市忍城について調べました。おもに成田氏と忍城の戦いについての記事投稿をします。忍城の戦いは日本三大水攻めの一つに数えられる。石田三成が落城させることができなかったあの戦いである。つけくわえるならば豊臣秀吉の小田原攻めの最中の戦いである。忍城を治めていたのが成田氏です。

山上宗二とは?

真田丸本編とは関係ないが。ここで山上宗二(やまのうえそうじ)について。

千利休の高弟である山上宗二。茶匠としては豊臣秀吉に仕えてるが、二度までも秀吉によって追放される。著書には「山上宗二記」「茶器名物集」「茶の湯珍書」がある。小田原征伐のおり、またもや秀吉の怒りを買った。三度目の追放はなかった・・・。

記事投稿しているので、よろしければ参考にしてみてください。

山上宗二。秀吉に追放され、北条氏に仕える。著書「山上宗二記」
千利休の高弟である山上宗二。茶匠としては豊臣秀吉に仕えてるが、二度までも秀吉によって追放される。著書には「山上宗二記」「茶器名物集」「茶の湯珍書」がある。小田原征伐のおり、またもや秀吉の怒りを買った。三度目の追放はなかった・・・。

「真田丸」第24話「滅亡」視聴率

堺雅人主演の大河ドラマ「真田丸」第24話「滅亡」が2016年6年19日放映された。平均視聴率は17.6%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。

20%の大台どころかダウンしました。ダウンですかーって感じです。

「早丸」と呼ばれるBS視聴率は5.2%で自己最高タイ。

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1985年新大型時代劇「真田太平記」レビュー記事

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羽柴(豊臣)家に関する記事

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まとめ

また強烈なキャラクターが消えてしまった。わかってはいるが寂しいものである。これからも好きなキャラクターが死んでいく・・・。

北条氏政(高嶋政伸)が切腹するところまでは良かった。

なのに違和感を感じるのは何故だろう。おそらく伊達藤次郎政宗(長谷川朝晴)の「ずんだ餅」のせいだろう。

政宗や「ずんだ餅」が悪いのではない。はなしの展開が管理人には合わなかった。確かに政宗は源次郎信繁にとって重要な人物になるのだが・・・。

「滅亡」というタイトルに期待しすぎたせいもあるが、第13話「決戦」と同じような気持ちになった。

管理人がおかしいだけかもしれないが、第13話「決戦」・第24話「滅亡」も神回になっていない・・・。

それでは感謝の気持ちでしめます。いつもありがとうございます・・・。by aki(@aoplanning_com)

お読みくださってありがとうございました。それでは。

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