木村重成。秀頼の小姓で正四位上・長門守、戦国最強のイケメン

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木村重成。幼少期から秀頼の小姓として仕えたといわれる。知行は3千石。官位は正四位上・長門守。母の宮内卿局(右京大夫局の説あり)は豊臣秀頼の乳母。豊臣姓を下賜されている。真田丸も木村重成を取り上げるとはシブい!

こんにちは、こんばんは、はじめまして、毎度です(笑)。aoplanning.comの管理人aki(@aoplanning_com)です。

豊臣秀頼の側近・木村重成について書きたいとおもいます。

歴史好きの管理人が好き勝手に記事投稿します。

それではいってみよう!

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木村重成

木村重成(きむらしげなり)。1593年(文禄2年)?~1615年(慶長20年)5月6日。父は木村重茲。母は宮内卿局(竹俣氏)。

兄弟は高成、村井重盛?、篠原重之。豊臣氏の家臣。知行3千石。官位は正四位上・長門守。

正室は青柳(大蔵卿局の姪、真野頼包の娘)。子は馬淵源左衛門?

墓所は滋賀県彦根市宗安寺、大阪府八尾市幸町公園。戒名は智覺院殿忠翁英勇大居士。

大蔵卿局。淀殿・豊臣秀頼の乳母、子には大野治長・治房・治胤・治純
大蔵卿局。淀殿・豊臣秀頼の乳母であり、子には大野治長・治房・治胤・治純。豊臣秀吉の死後、秀吉の正室・高台院とその従者の孝蔵主が大坂城から去ると、子の大野三兄弟と共に豊臣家で重用され権勢を振るった。最期は秀頼や淀殿に殉じて、子の治長と共に自害。戒名は智勝院桂宗春大禅定尼。

豊臣秀頼の小姓

木村重茲の子として誕生。母の宮内卿局(右京大夫局の説あり)は豊臣秀頼の乳母。

木村重成は、幼少期から秀頼の小姓として仕えたといわれる。

豊臣秀頼。母は淀殿、豊臣家の公達。本当に秀吉の実子なのか?
秀頼が誕生したことにより、多くの人の運命が狂った。別に秀頼のせいではないが、豊臣秀次は典型的な人物であろう。秀次死後、秀吉の期待を一心に背負い秀頼は成長する。豊臣家のプリンス・公達として・・・。豊臣政権の永続を願い崩壊が始まってることに気づかず秀吉は死んだ。そして豊臣政権は永続しなかった・・・。

元服すると豊臣家の重臣となり、重要な会議などにも出席するようになる。

1599年(慶長4年)12月17日、豊臣姓を下賜。

豊臣家と徳川家康との関係が険悪になると、大野治長・渡辺糺らと共に開戦を主張。片桐且元を大坂城から追い出すのに加担。

「源平藤橘」に次ぐ氏(うじ)「豊臣」を賜る秀吉。氏姓は豊臣朝臣
大河ドラマ「真田丸」第14話「大坂」の予告で秀吉演じる小日向文世が「とよとみのひでよし」と高らかに名乗っている。なるほどと思い「豊臣氏」について記事投稿します。豊臣氏は摂関家になった。藤原良房以来700年にわたって継続されてきた藤原氏の摂政関白が中断。秀吉は豊氏長者・藤氏長者でもあり武家関白制を目指すこととなった。
大野治長。大野修理と呼ばれ、母は大蔵卿局。淀殿との密通は本当?
大野治長といえば、豊臣秀頼の側近で、淀殿との密通の噂があるくらいしか知りませんでした。やはり母が大蔵卿局だからだろうか。大蔵卿局あっての大野治長だと思う。豊臣家滅亡時の重臣というか舵取りをしていたほどの重要人物である。管理人は「大野修理」のほうがしっくりくる。
片桐且元。賤ヶ岳の七本槍と称され、豊臣家家老。のち徳川家に出奔
片桐且元といえば賤ヶ岳の七本槍であり、豊臣政権の奉行職を歴任した。豊臣家家老にまでなっている。片桐氏は信濃源氏の名族であり、官位は従五位下・東市正(ひがしのいちのかみ)。豊臣姓まで下賜されている。同じ豊臣恩顧の加藤清正・福島正則の様なイメージはない。通称は助佐・助作。

大坂冬の陣・大坂夏の陣

豊臣秀頼。母は淀殿、豊臣家の公達。本当に秀吉の実子なのか?,アイキャッチ画像

大坂冬の陣では後藤基次とともに今福砦攻防戦を展開。

徳川軍と対等に戦い全国にその名を広める。「真田丸の戦い」にも参加。

後藤又兵衛(基次)。黒田長政との確執は?黒田二十四騎・黒田八虎
後藤又兵衛(基次)。「黒田二十四騎」「黒田八虎」「大坂城五人衆」の一人に数えられた。官位は従六位下・隠岐守。黒田家を出奔したのに「黒田二十四騎」「黒田八虎」に数えられているのが凄い!黒田家を出奔したのは他国の者(細川氏、池田氏)と頻繁に書状を交わすことに原因があったとされる。生存説などは多数で、伝承が多い武将である。
真田信繁(幸村)と徳川家康
真田信繁(幸村)と徳川家康について記事投稿します。真田家と徳川家の関係は第一次上田合戦、上杉征伐、第二次上田合戦、大坂冬の陣、大坂夏の陣があります。第二次上田合戦では二代将軍徳川秀忠を関ヶ原の戦いに遅参させています。また大坂夏の陣では、徳川家康に二度も自害を決意させたと伝えられています。

1615年(慶長20年)、大坂夏の陣が勃発。

豊臣軍の主力として長宗我部盛親とともに八尾・若江(東大阪市南部)方面に出陣。

「八尾・若江の戦い」では、八尾方面には長宗我部盛親、若江方面には重成が展開し、藤堂高虎、井伊直孝の両軍と対峙。

長宗我部盛親。関ヶ原では戦闘に参加できず、寺子屋で生計を立てる
管理人が思う長宗我部盛親は少し可哀想な人物である。特に関ヶ原の戦いなのだが、結果だけ見ると成り行き上、西軍として参加している。本戦でも「宰相殿の空弁当」でも有名な毛利秀元、東軍に内応した吉川広家のせいで動くに動けなかった。戦闘自体に参加できていない。そんな長宗我部盛親の最期は立派であったと伝わる。

重成は藤堂軍の右翼を破る。兵を収拾し、昼食を取らせると敵の来襲を待ち構えた。

家臣が「兵は疲れており再度戦えば敗北は必至」と諌めた。

しかし重成は「この程度の勝利はものの数ではない」と一蹴。

敵陣へと突撃を開始するも、井伊軍との激戦の末に戦死。

井伊家家臣・安藤重勝に討たれたとも、同家家臣・庵原朝昌に討たれたが朝昌はその功を重勝に譲ったともいわれる。

逸話としては、首実検でその首級が家康に届けられると、頭髪に香が焚きこめてあったので、その覚悟を感嘆させたという話が残る。

首は重勝が密かに彦根まで持ち帰り、安藤一族の菩提寺・宗安寺に埋めたとされ、同寺院には木村重成の首塚がある。

墓は第二寝屋川の南側、大阪府八尾市幸町の公園にある。

正室・青柳

1615年(慶長20年)1月7日、木村重成は大蔵卿局の姪の青柳を正室に迎える。

八尾・若江の戦い前後に青柳と別れの盃を交わしたといわれる。

重成の死後、妊娠していた青柳は、近江の親族によって匿われ男児を出産後に出家。重成の一周忌を終えると青柳は20歳で自害したといわれる。

青柳の出産した男児は馬淵家の婿養子となり、馬淵源左衛門と名乗ったと伝えられている。

木村重成に由来する地名

木村重成に由来する地名を記述。

東大阪市若江南町1丁目には「若江木村通」という交差点がある。

木村重成の伝説

木村重成の伝説・伝承を記述。

生誕地

「旧事雑記」には、

佐土原八日町に重成の誕生の地がある」

と記されている。重成が大坂にあった理由まで書かれている。

重成の母がお伊勢参りの途中、大坂の宿に宿泊中であった。その頃、豊臣家の家臣が秀頼の乳母を探しており、旅人まで物色していた最中に重成の母が目にとまり、秀頼の乳母になったためという。

八日町の荒神神社「荒神様縁起」には、

「武州東禅寺開山定州和尚、仏日山大光寺一道和尚、日本武将豊臣秀頼の乳兄弟 木村長門守重成の3名は、八日町松岩寺(松巌寺)前一番屋敷の産で有名な屋敷」

とあった。

付近ではこの一番地を木村屋敷と呼んだ。

1956年(昭和31年)5月、その場所に重成の等身大の石像が建てられ現存する。

重成の子孫

重成の従弟・木村八兵衛俊重は、大坂城落城後、武蔵国大門村に来た。

同地に帰農していた後北条氏遺臣・會田外記の娘婿になり、息子・會田敏明から代々日光御成街道大門宿本陣および同宿名主、紀州徳川家鷹場・鳥見役を勤めた。

  • 1694年(元禄7年)、「大門宿本陣表門」建設。徳川家の日光社参のため。所在はさいたま市緑区大門。
  • 1966年(昭和41年)、「埼玉県指定史跡」に指定。

現在でも引き続き会田家(會田家)が所有。

資料から証明できてなく、伝承・伝説の範囲に留まるとされているのは、

  • 木村重成の子孫の一つは牛久藩山口家に召抱えられ小川姓に改姓。
  • 与板藩主・牧野氏に召抱えられた村井氏は、重成の弟の平兵衛重盛が村井に改姓。

がある。

大河ドラマ「真田丸」では白石隼也が演じる

大河ドラマ「真田丸」では木村重成を白石隼也(しらいししゅんや)が演じる。

白石隼也さんは、「仮面ライダーウィザード」などで人気を博した。ホリプロ所属の若手注目株の俳優・タレント。

期待してます!

大河ドラマの木村重成を演じた人物は、

  • 1983年「徳川家康」-加納竜
  • 2000年「葵 徳川三代」-畠中洋

である。

参考サイト

参考サイトは以下のとおりです。本当にありがとうございました。

木村重成 – Wikipedia

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2016年大河ドラマ「真田丸」レビュー記事

1985年新大型時代劇「真田太平記」レビュー記事

まとめ

戦国最強のイケメンといわれる木村重成ですが、真田丸ではどのように描かれるのでしょうか・・・。

初登場シーンに注目です!

それでは感謝の気持ちでしめます。いつもありがとうございます・・・。by aki(@aoplanning_com)

お読みくださってありがとうございました。それでは。

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