毛利勝永。大坂五人衆とよばれ、大坂夏の陣では豊臣秀頼を介錯

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豊臣家の譜代である毛利勝永。大坂五人衆のひとりである。父は毛利勝信(森吉成)。尾張出身で官位は従五位下・豊前守。名前は森吉政、毛利吉政、毛利勝永。通称は豊前守。号は一斎。兄弟は弟・吉近(山内勝近)。「真田丸」ではジャニーズ事務所所属の元男闘呼組・岡本健一が演じる。毛利勝永といえば大坂冬の陣・大坂夏の陣なのだが・・・。

こんにちは、こんばんは、はじめまして、毎度です(笑)。aoplanning.comの管理人aki(@aoplanning_com)です。

毛利勝永といえば大坂夏の陣・大坂夏の陣の見事な戦いぶりと散り際なのだが・・・。

それではいってみよう!

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毛利勝永(森吉政)

毛利勝永(もうりかつなが)。1577年(天正5年)~1615年(慶長20年)5月8日。父は毛利勝信(森吉成)。生まれは尾張国。豊臣秀吉・秀頼の家臣。

名は森吉政、毛利吉政、毛利勝永。通称は豊前守。号は一斎。官位は従五位下・豊前守。

兄弟は弟・吉近(山内勝近)。正室は龍造寺政家の娘。継室もいたようです。子は勝家、太郎兵衛(鶴千代)、女。

従五位下・豊前守

1577年(天正5年)、森吉成(毛利勝信)の子として尾張国に生まれる。父・吉成とともに秀吉の家臣として仕える。

  • 1587年(天正15年)、父・吉成は豊前国小倉6万石(10万石とも)、勝永には豊前国内に1万石(4万石とも)が与えられた。秀吉により森姓から毛利姓に改める。
  • 1597年(慶長2年)、朝鮮出兵に従軍。慶長の役においては、蔚山倭城に攻寄せた明・朝鮮連合軍撃退に戦功を立てた。
  • 1600年(慶長5年)、関ヶ原の戦い。父と共に西軍に参戦。

父・毛利勝信は領国・九州に下向。勝永は伏見城の戦いで格別な戦功をあげ、毛利輝元・宇喜多秀家より感状と3,000石の加増。だが毛利九左衛門(香春岳城城主)や毛利勘左衛門などの多くの家臣を失っている。

安濃津城の戦いや関ヶ原本戦では、輝元家臣と共に安国寺恵瓊の指揮下に置かれ、家中も混乱状態にあり、活躍の場はなかった。

豊前・小倉城は黒田如水に奪われ、戦後改易。父と一緒に加藤清正、山内一豊に預けらている。

親交のあった山内家では1千石を与えられている。父子とも手厚く遇され、勝永の弟は山内姓を与えられ山内吉近を名乗るなどの厚遇であった。

  • 1610年(慶長15年)5月25日、正室が死去。出家し、一斎と号する。
  • 1611年(慶長16年)5月7日、白雲院殿好雪神祇と諡して江ノ口村尾戸山喜圓坊に葬り、のちに秦村泰山に改葬。

宇喜多秀家。備前宰相、関ヶ原の戦いでは西軍の副大将。八丈島に流刑
備前宰相と呼ばれた宇喜多秀家。父は梟雄と称された宇喜多直家。母・円融院は秀吉の側室的存在であったとの説があります。秀吉の寵愛を受けて猶子となった。秀吉より「秀」の字を与えられ、秀家と名乗る。正室は秀吉の養女(前田利家の娘)の豪姫。宇喜多騒動なども解説。
加藤清正。賤ヶ岳の七本槍だが、従五位下主計頭に込めた秀吉の思い
熊本城築城、賤ヶ岳の七本槍、虎退治、地震加藤などで有名な加藤清正。エピソードが多い武将だ。意外だが、文禄・慶長の役まで大軍を指揮していない。当初から石田三成と対立していたわけではなく、ただの「猪武者」でもないようだ。勇猛果敢な豪将のイメージがあるが最初の官位は従五位下・主計頭である。そこに込めた秀吉の思いとは・・・。

大坂の陣

毛利勝永。大坂五人衆とよばれ、大坂夏の陣では豊臣秀頼を介錯,画像01

1614年(慶長19年)、豊臣秀頼よりの招きを受け、土佐からの脱出を計画。毛利勝永と土佐藩主・山内忠義は昔、衆道の間柄であったといわれている。

大坂城に入城した毛利勝永は、豊臣家の譜代家臣ということもあり、諸将の信望を得て大坂城の五人衆と称されている。

大坂冬の陣においては、真田信繁らと共に出撃策を唱えたが容れられず、籠城戦では西丸ノ西・今橋を守備。

(大坂夏の陣)

  • 1615年(慶長20年)5月6日、道明寺の戦いで敗退した後藤基次らの敗残兵を、毛利勝永隊が収容。
  • 1615年(慶長20年)5月7日、天王寺口の戦い。兵4千を率いて徳川家康本陣の正面、四天王寺南門前に布陣。

戦闘開始時、本多忠朝や小笠原秀政らを討ち取る。浅野長重・秋田実季・榊原康勝・安藤直次・六郷政乗・仙石忠政・諏訪忠恒・松下重綱・酒井家次・本多忠純の部隊を撃破。

ついには徳川家康の本陣に突入。真田信繁(幸村)隊が壊滅して戦線が崩壊すると、四方から関東勢の攻撃を受けたため撤退。

撤退時にも藤堂高虎隊を撃ち破ると、井伊直孝や細川忠興らの攻撃を防ぎ大坂城内へ撤収。

1615年(慶長20年)5月7日、豊臣秀頼の介錯を行った。息子・毛利勝家、弟・山内勘解由吉近と共に蘆田矢倉で自害。

戦後、徳川家康は土佐藩主・山内忠義に人質3名を京へ護送するように命じ、10歳の太郎兵衛は斬首(名目は切腹)。

真田信繁(幸村)と徳川家康
真田信繁(幸村)と徳川家康について記事投稿します。真田家と徳川家の関係は第一次上田合戦、上杉征伐、第二次上田合戦、大坂冬の陣、大坂夏の陣があります。第二次上田合戦では二代将軍徳川秀忠を関ヶ原の戦いに遅参させています。また大坂夏の陣では、徳川家康に二度も自害を決意させたと伝えられています。
豊臣秀頼。母は淀殿、豊臣家の公達。本当に秀吉の実子なのか?
秀頼が誕生したことにより、多くの人の運命が狂った。別に秀頼のせいではないが、豊臣秀次は典型的な人物であろう。秀次死後、秀吉の期待を一心に背負い秀頼は成長する。豊臣家のプリンス・公達として・・・。豊臣政権の永続を願い崩壊が始まってることに気づかず秀吉は死んだ。そして豊臣政権は永続しなかった・・・。

真田を云いて毛利を云わず

毛利勝永の大坂の陣における活躍について、江戸時代中期の文人・神沢杜口(かんざわとこう)は、

「惜しいかな後世、真田を云いて毛利を云わず」

と述べ、その活躍を賞賛。

大坂の陣のを見聞したある宣教師の記録に、

「豊臣軍には真田幸村と毛利勝永というすさまじい気迫と勇気を持った指揮官がいて家康本陣に何度も猛攻を加えた」

と記されているという。

にもかかわらず、真田信繁(幸村)に比べて毛利勝永の知名度は低い。

最近では少し見直されているようですが・・・。

大河ドラマ「真田丸」をきっかけにして毛利勝永の知名度が高くなることをおもってやまない・・・!

大坂五人衆

大坂冬の陣・大坂夏の陣で活躍した豊臣方の牢人たちを総称して「大坂五人衆・大坂城五人衆・大坂牢人五人衆」と呼ぶ。

メンバーは、

  • 長宗我部盛親
  • 真田信繁(幸村)
  • 毛利勝永
  • 後藤又兵衛(基次)
  • 明石全登

である。

真田丸、真田信繁(幸村)と六文銭
2016年1月10日から放映される大河ドラマ「真田丸」を見るにあったて、真田信繁(幸村)を調べてみた。近年ゲームキャラクターとしての真田幸村は凄まじい人気です。「真田十勇士」などの人気も手伝ってキャラクターが実際の真田幸村を超越してるように思われます。こんなこというと夢を壊すようですが。。
明石全登。熱心なキリシタンであり、元国際連合事務次長・明石康は子孫
明石全登は宇喜多家家臣でありながら、豊臣秀吉の直臣でもあった。大坂冬の陣・大坂夏の陣での活躍により大坂五人衆の一人に数えられる。全登は宣教師を自分の屋敷に住まわせて保護するほどの熱烈なキリシタンであった。子孫には元国際連合事務次長・明石康がいる。
長宗我部盛親。関ヶ原では戦闘に参加できず、寺子屋で生計を立てる
管理人が思う長宗我部盛親は少し可哀想な人物である。特に関ヶ原の戦いなのだが、結果だけ見ると成り行き上、西軍として参加している。本戦でも「宰相殿の空弁当」でも有名な毛利秀元、東軍に内応した吉川広家のせいで動くに動けなかった。戦闘自体に参加できていない。そんな長宗我部盛親の最期は立派であったと伝わる。
後藤又兵衛(基次)。黒田長政との確執は?黒田二十四騎・黒田八虎
後藤又兵衛(基次)。「黒田二十四騎」「黒田八虎」「大坂城五人衆」の一人に数えられた。官位は従六位下・隠岐守。黒田家を出奔したのに「黒田二十四騎」「黒田八虎」に数えられているのが凄い!黒田家を出奔したのは他国の者(細川氏、池田氏)と頻繁に書状を交わすことに原因があったとされる。生存説などは多数で、伝承が多い武将である。

大河ドラマ「真田丸」では岡本健一が演じる

大坂の陣で真田信繁(堺雅人)と運命をともにする毛利勝永にジャニーズ事務所所属の元男闘呼組・岡本健一が決定!

岡本健一自身は20年ぶりの大河ドラマ出演。

NHK放送のドラマで毛利勝永を演じた人物は、

  • 1985-86年「真田太平記」-宮内洋
  • 2000年「葵 徳川三代」-福中勢至郎

である。

岡本圭人は息子

アイドルグループ「Hey! Say! JUMP」のメンバー・岡本圭人の父は、岡本健一です。

有名な話ですよね。

親子揃って、ジャニーズ事務所所属になります。

SMAP解散報道によりジャニーズ事務所を調べてみました!
きっかけは「SMAP解散報道」。ジャニーズ事務所の歴史、所属タレントなどなど調べたくなっちゃいました。今回調べてわかったのですが、ジャニーズ事務所に女性タレントが在籍していことってあるんですね。ビックリでした。芸能界に多大な影響を与え、今なお芸能界に君臨する「ジャニーズ」とは?

第45話「完封」

大河ドラマ「真田丸」第45話「完封」では、岡本健一演じる毛利勝永の良さがでました。

素晴らしかったと思います!

詳細は記事投稿してますので、よろしければ参考にしてみてください。

「真田丸」第45話「完封」感想。毛利勝永にしびれ、高砂ふたたび
ついに大坂冬の陣が始まった。木津川口・今福砦での戦いは豊臣方の劣勢。やはり豊臣方の内情が漏れている。徳川方の内通者は誰なのか?なんとか太閤・秀吉の恩に報いたい福島正則と平野長泰。ひとりひとりの思いが錯綜する。第45話「完封」は見どころ満載である・・・。

参考サイト

参考サイトは以下のとおりです。本当にありがとうございました。

毛利勝永 – Wikipedia

関連記事

関連記事リンクをまとめてみました。よろしかったらご利用ください。

2016年大河ドラマ「真田丸」レビュー記事

1985年新大型時代劇「真田太平記」レビュー記事

まとめ

大河ドラマ「真田丸」で毛利勝永を演じる岡本健一ですが、大河ドラマ出演が20年ぶりということは1996年放送の「秀吉」ぶりなんですね。

「秀吉」では旭姫(細川直美)の引き離された夫役を演じていました。

大坂五人衆としての大坂冬の陣・大坂冬の陣が楽しみデス!

それでは感謝の気持ちでしめます。いつもありがとうございます・・・。by aki(@aoplanning_com)

お読みくださってありがとうございました。それでは。

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