大蔵卿局。淀殿・豊臣秀頼の乳母であり、子には大野治長・治房・治胤・治純。豊臣秀吉の死後、秀吉の正室・高台院とその従者の孝蔵主が大坂城から去ると、子の大野三兄弟と共に豊臣家で重用され権勢を振るった。最期は秀頼や淀殿に殉じて、子の治長と共に自害。戒名は智勝院桂宗春大禅定尼。
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大蔵卿局といえば大野治長の母であり、片桐且元をおとしめた人物だと思っていたのだが・・・。
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それではいってみよう!
大蔵卿局
大蔵卿局/大蔵局(おおくらきょうのつぼね/おおくらのつぼね)。?~1615年(慶長20年)5月8日。
丹後国の地侍・大野定長の妻。子に大野治長・治房・治胤・治純。
戒名は智勝院桂宗春大禅定尼。
茶々(淀殿)の乳母
豊臣秀吉の死後、秀吉の正室・高台院とその従者の孝蔵主が大坂城から去ると、子の大野三兄弟と共に豊臣家で重用され権勢を振るった。
1614年(慶長19年)に起こった方広寺鐘銘事件では、駿府の大御所・徳川家康の元へ使者として派遣。家康は大蔵卿局とは面会したが、以前から交渉していた片桐且元とは面会していない。
家康は本多正純と以心崇伝を介して、豊臣秀頼の徳川家に対する隔意が無いことを示すように命じている。
片桐且元が提案した三案に秀頼・淀殿は怒り且元を誅殺しようとしたので、且元は大坂城から退去。一部の武将も豊臣家を見限り同じく退去。
大蔵卿局が大坂に戻る途中に且元からこの三案を聞き、先に戻りこれを秀頼・淀殿に讒言したとされるが、当時の資料に「大蔵卿局の讒言」の記述はない。
1615年(慶長20年)5月8日、大坂夏の陣で敗れ自害した秀頼や淀殿に殉じて、子の治長と共に自害。
大河ドラマ「真田丸」では峯村リエが演じる
大河ドラマ「真田丸」では大蔵卿局を峯村リエが演じる。
茶々(竹内結子)の側近なので、最終回近くまで出演が予想される。
参考サイト
参考サイトは以下のとおりです。本当にありがとうございました。
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まとめ
大蔵卿局の讒言で、片桐且元は豊臣家を去ったと思っていましたが確証はないようです。
茶々(淀殿)の側近なので、「真田丸」でも茶々(竹内結子)の近くにいます。
大蔵卿局といえば、子・大野治長とともに大坂冬の陣・大坂夏の陣なので、どのように描かれるか楽しみデス!
それでは感謝の気持ちでしめます。いつもありがとうございます・・・。by aki(@aoplanning_com)
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