大河ドラマ「真田丸」第26話「瓜売」で、春(竹林姫・演じるのは松岡茉優)、たか(隆清院・演じるのは岸井ゆきの)が登場したので真田信繁(幸村)の正室・側室、子女についてまとめてみた。人物の概略、真田丸での配役を織り交ぜながら書いてます。
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真田信繁(幸村)の正室・側室、子女、そして母・祖母について記事投稿する。
歴史好きの管理人が好き勝手に記事投稿します。
それではいってみよう!
目次
真田信繁
真田信繁(さなだのぶしげ)。1567年(永禄10年)または1570年(元亀元年)2月2日~1615年(慶長20年)5月7日。父は真田昌幸。母は山手殿(寒松院)。
幼名は弁丸、お弁丸。法名は好白。別名は幸村、豊臣信繁。通称は源二郎(源次郎)、左衛門佐。官位は従五位下・左衛門佐。偽名は伝心月叟。
兄弟は村松殿、信之、信勝、昌親ほか。
墓所は長野県長野市の長国寺、京都府京都市の龍安寺塔頭大珠院、京都府京都市の妙心寺塔頭養徳院、宮城県白石市の田村家墓所、秋田県由利本荘市の妙慶寺。
戒名は大光院殿月山傳心大居士。
母については山手殿(寒松院)ではないとする説もある。ちなみに「真田太平記」では、その説を採用している。
大河ドラマ「真田丸」では堺雅人が演じる。
信繁の妻子
信繁の妻子をまとめる。
妻
- 正室:竹林院(大谷刑部少輔吉継の娘)
- 側室:隆清院(豊臣秀次の娘)
- 側室:堀田作兵衛興重の娘
- 側室:高梨内記の娘
子女
- 阿菊/すへ(石合重定/道定室)
- 於市
- 阿梅(片倉重長後室)
- あくり(蒲生郷喜室)
- なほ(御田姫、岩城宣隆室)
- 阿昌蒲(片倉定広室)
- おかね(石川貞清室)
- 幸昌
- 守信
- 幸信
- 之親(母不詳)
竹林姫(竹林院)
竹林姫、竹林院。?~1649年(慶安2年)5月18日?。真田信繁(幸村)の正室。大谷刑部少輔吉継の娘とされるが、妹、姪ともある。
信繁(幸村)とは真田幸昌(大助)、片倉守信、あぐり(蒲生郷喜室)、菖蒲(片倉定広室)、おかね(石川貞清室)らをもうける。信頼できる史料は無く研究が急がれる。
大河ドラマ「真田丸」では春という名で松岡茉優が演じる。
第26話「瓜売」で初登場。
真田幸昌(大助)
真田幸昌(さなだゆきまさ)。1601年(慶長6年)7月24日~1615年(慶長20年)5月8日。生誕年については1600年(慶長5年)、1602年(慶長7年)、1603年(慶長8年)説がある。
父は真田信繁(幸村)。母は正室・竹林姫(竹林院)。
別名は信昌、幸綱、治幸。通称は大助。
大坂城落城時、幸昌(大助)は若年であった。速水守久らから脱出を勧められたが拒絶して、秀頼の切腹に殉じている。幸昌(大助)の殉死は美談として有名。
死の経緯については諸説あり、「我は真田左衛門佐信繁の倅なり」と叫んで介錯を加藤弥平太にして切腹、または加藤と刺し違えたともいわれる。
「老将座談」では、秀頼の命で加藤弥平太と武田左右吉が介錯をするように定められたともする。
真田守信(片倉守信)
真田守信(さなだもりのぶ)。1612年(慶長17年)~1670年(寛文10年)10月30日。父は真田信繁(幸村)。母は正室・竹林姫(竹林院)。生まれは父の幽閉先・紀伊国九度山。
幼名は大八。片倉久米之介守信。仙台真田家の祖。
大八については高野山蓮華定院の記録に「5月5日、京都に於て印地打ち成され、御死去候」とあるのだが・・・。
1640年(寛永17年)、伊達家(仙台藩)に召し抱えられ、真田四郎兵衛守信を称した。
が、逆賊の子供ではないかと咎められる。伊達家は信繁の次子・大八は石投げで死んでいる記録を持ち出して弁明し、守信は「真田信尹の次男・政信の子」だと説明した。
幕府からの処罰はなかったが、真田姓から片倉姓に改め、片倉久米之介守信と改名している。仙台藩には扶持300石で召し抱えられている。
1670年(寛文10年)10月30日、死去。享年59。
あくり
あくり(あぐり)。父は真田信繁(幸村)。母は正室・竹林姫(竹林院)。
大坂落城後、滝川三九郎一積(織田家重臣・滝川一益の孫)の養女となる。一積の妻は真田信繁(幸村)の妹である。
あくりは会津の蒲生忠郷の重臣で、三春城主・蒲生源左衛門(郷喜氏郷の腹心であった郷成の子)の子の妻となる。
阿菖蒲
阿菖蒲(おしよふ)。父は真田信繁(幸村)。母は正室・竹林姫(竹林院)。
姉・阿梅に引き取られ、伊達政宗の家臣・田村定広(のち片倉氏に改姓)に嫁ぐ。
おかね
おかね。父は真田信繁(幸村)。母は正室・竹林姫(竹林院)。
夫は石川備前守貞清。貞清は元尾張犬山城主(1万2千石)であり、関ヶ原の戦い後は浪人し、京都で宗休と称して茶人であった。
宗休は京都大珠院に信繁(幸村)夫妻の墓を建てている。
隆清院
隆清院(りゅうせいいん)。?~1633年(寛永10年)?。父は豊臣秀次。母は秀次の継室(正室)・一の台(菊亭晴季の娘)。真田信繁(幸村)の側室。
子はお田の方(直・信繁の五女)、幸信(信繁の三男)。
豊臣秀次事件では秀次の子供、4男1女が処刑されている。女子で処刑されたのは露月院だけ。
父・秀次は切腹。母・一の台も処刑されている。隆清院は難を逃れている。
大河ドラマ「真田丸」では「たか」という名で岸井ゆきのが演じる。
第26話「瓜売」で初登場。
お田の方
直(なほ)は出羽亀田藩主・岩城宣隆の室となり、お田の方と呼ばれる。
弟・左次郎は、お田の方が引き取っている。
お田の方は、妙慶寺を建立し、隆清院の墓碑をおいて供養した。
三好左馬之助幸信
左次郎は三好の姓を名乗った。
秀次は一時期、三好家の養子となり家督相続をしている。
左次郎は姉・お田の方の嫁ぎ先である出羽亀田藩主・岩城宣隆に引き取られた。
元服して「三好左馬之助幸信」と名乗り、亀田藩に仕えた。
享年53。墓所は秋田県妙慶寺。
堀田作兵衛興重の娘
真田信繁(幸村)の側室。真田家の家臣・堀田作兵衛興重の娘。信繁(幸村)との間には、信繁(幸村)の最初の子「すへ/菊」をもうける。
信繁(幸村)の最初の妻ではあるが、家柄により側室なんだと思います。この時代、妻の実家の身分や家柄は思っているよりも重要視されます。
のちに信繁(幸村)は大谷吉継の娘・竹林姫(竹林院)を正室に迎えますが、それまでは堀田作兵衛興重の娘が正室だったという見方もあるようですが・・・。
大河ドラマ「真田丸」では堀田作兵衛の妹で、信繁(幸村)と結婚はするが側室という設定です。
堀田作兵衛興重の娘に関する資料は、ほとんど無く、はっきりとしたことはわかっていないので、どのような最期なのかもわかりません。
関ヶ原の戦い後、信繁(幸村)は九度山に流されますが、堀田作兵衛興重の娘、「すへ/菊」は同行していません。上田に残ったのでしょう。
大河ドラマ「真田丸」では「梅」という名で黒木華が演じる。
第13話「決戦」で戦いに巻き込まれ、亡くなってしまったという設定になっている。
すへ/菊
信繁は「すへ/菊」の行く末を案じていた。
のち石合重定/道定に嫁いでいます。
大河ドラマ「真田丸」では「すえ」。
高梨内記の娘
真田信繁(幸村)の側室。真田家の重臣・高梨内記の娘。名前は采女(うめね)との表記も見られる。采女は高梨内記自身や高梨内記の子であるとの説があり、はっきりはしていない。
信繁(幸村)との間には、次女・於市、三女・阿梅(片倉重長後室)をもうける。次女・於市は早世している。
信繁(幸村)の側室・堀田作兵衛興重の娘同様、関連する資料は、ほとんど無く、はっきりとしたことはわかっていない。
関ヶ原の戦い後、信繁(幸村)は九度山に流され父・高梨内記とともに同行している。
大河ドラマ「真田丸」では「きり」という名で長澤まさみが演じる。
この記事は第26話「瓜売」時点で書いてます。源次郎信繁(堺雅人)とは、側室になるという展開ではありません。
関白・豊臣秀次(新納慎也)に言い寄られ、側室にならないかという展開です。
のち例の事件に巻き込まれるのでしょうか?
阿梅
阿梅(おうめ)に関しては、信繁(幸村)が大坂城に入った際に行動を共にしており、信繁(幸村)が最期を迎えるとなると、敵方・片倉小十郎重長に阿梅を託したという逸話が残っている。
阿梅は片倉家で養育され、片倉小十郎重長の正室・指月院は「自分が亡くなったら阿梅を継室に」と言い残しているようです。言葉通り、阿梅は重長の後室になっています。
山手殿(寒松院)
真田信繁の母・山手殿(寒松院)について。
「真田丸」では薫という名で女優・高畑淳子が演じる。真田昌幸の正室・山手殿。子は、長女の村松殿、嫡子の真田信幸(信之)、次男の真田信繁(幸村)。
昌幸が九度山に幽閉されたおりには同行せず、信幸(信之)が引き取る。すぐに出家して寒松院と改める。
出自については諸説ある。「真田太平記」では、菊亭(今出川)晴季の娘。
「真田太平記」では小山明子が演じた。
恭雲院
真田信繁の祖母・恭雲院についても書いておきたい。
「真田丸」では「とり」という名で女優・草笛光子が演じる。真田幸綱(幸隆)の正室。子には真田信綱、真田昌輝、真田昌幸、真田信尹、金井高勝。
1582年(天正十年)の武田家滅亡後、滝川一益・木曽義昌・徳川家康の人質になっている。1585年(天正13年)頃に解放され、真田家へもどったとされる。
真田丸では恭雲院の最期が第26話「瓜売」で描かれている。機会があれば視聴してみてください。
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まとめ
真田信繁(幸村)の正室・側室、子女について書きました。
タイトルにはありませんが、母・山手殿(寒松院)、祖母・恭雲院についても記事を紹介しています。
それでは感謝の気持ちでしめます。いつもありがとうございます・・・。by aki(@aoplanning_com)
お読みくださってありがとうございました。それでは。