「 戦国時代 」一覧

小野お通。詩歌・琴・書画などに秀でた才女、真田信之との関係?

小野お通。詩歌・琴・書画などに秀でた才女、真田信之との関係?

詩歌・琴・書画など万藝に秀でた才女であったといわれる小野お通。その出自・経歴は謎が多く、推測の域を出ていない。そして小野お通といえば、真田信之を連想してしまう。最終的には側室にはしていないようである。しかし真田信之の次男・信政がお通の娘・宗鑑尼(そうかんに)を側室としている。

会津征伐。直江状により上杉征伐を決意、関ヶ原の戦いの幕開け

会津征伐。直江状により上杉征伐を決意、関ヶ原の戦いの幕開け

太閤・豊臣秀吉の死後、豊臣政権の五大老筆頭・徳川家康は台頭した。ことごとく秀吉の遺命に背いた。勝手に諸大名の屋敷を訪れ、諸大名との縁組を行った。石田三成襲撃事件・徳川家康暗殺疑惑事件により、政敵・石田三成、前田利長を追い落とした。次のターゲットは、会津の上杉景勝。しかし会津征伐の真の狙いは・・・。

後藤又兵衛(基次)。黒田長政との確執は?黒田二十四騎・黒田八虎

後藤又兵衛(基次)。黒田長政との確執は?黒田二十四騎・黒田八虎

後藤又兵衛(基次)。「黒田二十四騎」「黒田八虎」「大坂城五人衆」の一人に数えられた。官位は従六位下・隠岐守。黒田家を出奔したのに「黒田二十四騎」「黒田八虎」に数えられているのが凄い!黒田家を出奔したのは他国の者(細川氏、池田氏)と頻繁に書状を交わすことに原因があったとされる。生存説などは多数で、伝承が多い武将である。

真田信政。真田信幸(信之)の次男、信濃松代藩主。最後は父と対立

真田信政。真田信幸(信之)の次男、信濃松代藩主。最後は父と対立

真田信政(さなだのぶまさ)。母は小松姫(本多忠勝の娘)。官位は従四位下・侍従兼大内記。信濃松代藩主。病気療養の父・信之の代わりに兄・信吉とともに大坂冬の陣・大坂夏の陣に参戦。豊臣方に敗れ逃走したといわれている。なかなか隠居しないと思い込んでいた父・信之とは対立があったようである。

真田信吉。大坂の陣で逃走、松代藩・沼田城主。従五位下・河内守

真田信吉。大坂の陣で逃走、松代藩・沼田城主。従五位下・河内守

真田信吉(さなだのぶよし)。母は清音院殿(真田信綱の娘)。官位は従五位下・河内守。信濃松代藩・沼田城主。この時の沼田の所領は独立した藩ではない。病気療養の父・信之の代わりに弟・信政とともに大坂冬の陣・大坂夏の陣に参戦。豊臣方に敗れ逃走したといわれている。

江(崇源院)。浅井三姉妹の末っ子、徳川秀忠の正室。位階は従一位

江(崇源院)。浅井三姉妹の末っ子、徳川秀忠の正室。位階は従一位

浅井三姉妹の末っ子で、徳川秀忠の正室・江(崇源院)。淀殿の妹ということもあり、きつい性格な人物であると思っていた。やはり小説・ドラマの影響からか間違って伝わっている部分が多い。調べてみるもんです。それと徳川将軍御台所(正室)で将軍生母となったのは、崇源院だけということにはびっくりした。