「真田丸」第18話「上洛」感想。真田昌幸が上洛、秀吉に臣従

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最初は秀吉に拝謁できなかった真田昌幸と源三郎信幸。源次郎信繁の取り計らいでなんとか拝謁にこぎつける。真田家は本領を安堵され秀吉の直臣になったが、徳川家康の与力を命じられる。よりによって家康の与力に・・・。真田家にとっては悪いことばかりではなく、良いこともあった。松の記憶が戻った。この先真田家に何が待っている・・・。

こんにちは、こんばんは、はじめまして、毎度です(笑)。aoplanning.comの管理人aki(@aoplanning_com)です。

第18話「上洛」では真田昌幸を演じる草刈正雄の演技が印象的だった・・・。

歴史好きの管理人が大河ドラマ「真田丸」レビューを好き勝手に記事投稿します。

それではいってみよう!

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大河ドラマ「真田丸」第18話「上洛」あらすじ

源次郎信繁は出雲阿国一行にいる藤という女性が、自分の姉・松と同一人物であることを確信する。小山田茂誠から貰った匂い袋を肌身離さず持っていたからだ。

上田では真田昌幸が上洛するかを迷っている。上杉家重臣・直江兼続が上田城に来てまで上洛の催促をしている。どうやら景勝も裏で働きかけてくれてるらしい。どこまでも真田家には優しい景勝である(笑)。

昌幸は母・とりとの会話の中で上洛を決意したのであろうか。とにかく上洛することを皆に伝える。久しぶりの登場である叔父・矢沢薩摩守頼綱は秀吉に臣従する不満を「やじゃやじゃ」と駄々をこねる表現をした。

昌幸と源三郎信幸は大坂に到着した。源次郎信繁と源三郎信幸は再会の喜びをお互いに「ホッペタペチペチ」で表現している。当然、昌幸と源次郎信繁も「ホッペタペチペチ」だ(笑)。

源三郎信幸は大坂城へ宿泊できない不満を源次郎信繁に漏らす。源次郎信繁は待遇の改善を石田三成に求めるが一蹴されてしまう。真田家は上杉・徳川とは格が違う。ただの国衆だ。それはそうなのだが・・・。

真田家の献上品を検分する席でも三成はテキパキと仕事をこなす。テキパキとしすぎるのだろう。これが加藤清正のいう「情がない」ってことなのだろう。三成は人を不快にさせ、三成の良さは人に伝わりにくい。

最初の拝謁では、秀吉は列席しなかった。秀吉の代わりは近江宰相・豊臣秀次だ。不満が爆発寸前の昌幸と源三郎信幸。隙あらばと思ってる昌幸の心を察する源次郎信繁。

源次郎信繁は茶々を介して秀吉に面会。昌幸の拝謁を許してもらうことを懇願。本人も言ってるように秀吉を恫喝した。拝謁の許しを得た。

昌幸と源三郎信幸は、どうにか秀吉に拝謁することができた。しかし終始、昌幸の表情は冴えない。思え返せば上杉景勝もそうだった。上杉家と真田家の格の違いはあれども、しょせんは秀吉の家来になるのである。やはり心中は複雑だろう・・・。

秀吉は真田家が徳川家の与力大名になることを命じる。よりによって家康の与力だ。ますます昌幸の表情は冴えない。

昌幸と源三郎信幸は大坂より駿府へ向かう。家康は昌幸が頭を下げることを喜んでいる。

昌幸は家康に拝謁した。そして昌幸は家康に頭を下げたのであった・・・。

石田三成。三献茶から佐和山城主、五奉行の一人~関ヶ原の戦い
石田三成は秀吉が天下人になると秀吉の子飼いから次第に台頭する。確かに三成は槍働きの武将ではない。忍城水攻めの失敗から戦下手のイメージもある。秀吉の子飼いでも福島正則などとは正反対の武将だ。歴史とは勝者が都合よく伝えたものがほとんどである。三成の研究が進むことを望む。でもなんだろう石田三成のことを思うと切なくなる・・・。

真田昌幸と母・とり

放送日が「母の日」だからだろうが、昌幸(草刈正雄)が母・とり(草笛光子)の肩を揉みながら会話をするシーンがある。

上洛するかどうか迷う昌幸(草刈正雄)に「とり(草笛光子)」は言う。

とり(草笛光子)「ウソでもいいから頭を下げなさい。強いものに従う。真田はこうやって生き延びてきた。」

とり(草笛光子)「下手に出で、牙を隠して爪を隠して。この先秀吉の勢いに陰りが見えたら、寝首をかく。」

とり(草笛光子)「卑怯者で何が悪い!」

とり(草笛光子)は昌幸(草刈正雄)の迷いを拭い去った。

真田家の全てを見てきたであろう「とり(草笛光子)」が言うと迫力があり、現実味が増す。

さすが戦国の女性であり、真田幸綱(幸隆)公の正室だ。

このシーンにはゾクッとして、しびれたよ!

恭雲院。真田幸綱(幸隆)の正室、昌幸の母。「真田丸」では「とり」
「真田丸」では「とり」という名で女優・草笛光子が演じる。真田幸綱(幸隆)の正室。子には真田信綱、真田昌輝、真田昌幸、真田信尹、金井高勝。1582年(天正十年)の武田家滅亡後、滝川一益・木曽義昌・徳川家康の人質になっている。1585年(天正13年)頃に解放され、真田家へもどったとされる。

真田昌幸が関白太政大臣・豊臣秀吉に臣従

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秀吉(小日向文世)が「太政大臣」に就任した。官職では最高峰だ。史実では1586年(天正14年)12月25日に太政大臣就任。

秀吉の官職は内大臣から右大臣・左大臣を飛ばし、太政大臣になった。確かに源頼朝・織田信長も太政大臣にはなっていない。

昌幸(草刈正雄)と源三郎信幸(大泉洋)の前で秀吉(小日向文世)は「関白太政大臣・豊臣秀吉(とよとみのひでよし)」と高らかに名乗っている。

石田三成(山本耕史)から酷評されたイノシシと熊の毛皮を秀吉(小日向文世)は、ちゃんと着ている(笑)。

とにもかくにも昌幸(草刈正雄)は、秀吉(小日向文世)に臣従した。

秀吉(小日向文世)に徳川家康(内野聖陽)の与力になることを命じられてしまう。

屈辱ではあるだろうが、本領を安堵され大名になった。

羽柴秀吉、関白相論に介入して関白宣下。武家関白制をめざす
羽柴(豊臣)秀吉は武家関白制を目指します。征夷大将軍就任を断った説もありますが定かではありません。秀吉の登場により朝廷は混乱。五摂家による関白の持ち回りの崩壊、気前よく官位を与えたことにより官位が不足。秀頼誕生により秀次事件。秀吉死後、関白不在、大臣は徳川家康だけでした。秀吉が秀頼のために空位にしていたのです・・・。
「源平藤橘」に次ぐ氏(うじ)「豊臣」を賜る秀吉。氏姓は豊臣朝臣
大河ドラマ「真田丸」第14話「大坂」の予告で秀吉演じる小日向文世が「とよとみのひでよし」と高らかに名乗っている。なるほどと思い「豊臣氏」について記事投稿します。豊臣氏は摂関家になった。藤原良房以来700年にわたって継続されてきた藤原氏の摂政関白が中断。秀吉は豊氏長者・藤氏長者でもあり武家関白制を目指すこととなった。
本能寺の変から豊臣秀吉への臣従までの真田昌幸、まさに表裏比興の者
本能寺の変により織田信長を失った真田家。大きな後ろ盾を失った真田家は豊臣秀吉に臣従するまで、たびたび主君を替えながら家の存続を目指す。結果、信幸(信之)の真田家は幕末まで残り、明治維新をむかえる。真田昌幸は数々の苦渋の決断がありながら、真田家の立ち位置を変える。管理人の頭を整理すべく、記事投稿します。。

真田信繁の姉・村松殿が記憶を取り戻す

昌幸(草刈正雄)はドラマの中で言っている。

悪いこともあれば、いいこともあると。

松(木村佳乃)の記憶が戻った。

キッカケは「きり(長澤まさみ)」のかかとのカサカサである。

ホッコリするシーンであった。

あとは小山田茂誠殿(高木渉)の登場だ!

真田昌幸の長女、真田信繁(幸村)の姉、小山田茂誠の正室・村松殿
「真田丸」では松という名で女優・木村佳乃が演じてます。正式には、真田昌幸の長女、真田信繁(幸村)の姉、小山田茂誠の正室・村松殿である。子に小山田之知がいる。武田家滅亡後、真田家が織田信長に臣従した際、安土に真田昌幸は娘を人質として送っている。それが村松殿であった可能性がある。「真田丸」と同じですね。
小山田茂誠殿、松殿、真田家にカムバック!室賀ロスで寂しい
真田丸で愛すべき室賀正武(西村雅彦)が逝った。室賀ロスのようにポッカリ穴が空いてしまったようだ。昌幸(草刈正雄)・源次郎信繁(堺雅人)を中心とするならば真田丸の魅力は、そのまわりのキャラクターの個性であると思っている。小山田茂誠殿(高木渉)・松殿(木村佳乃)再登場のタイミングは、そろそろかと思っているのだが・・・。

与力

豊臣秀吉の命により、真田昌幸は徳川家康の与力大名となった。

戦時では徳川家康の命令を受けるが、家康の家来ではない。軍団長大名を監視する役目もある。あくまで昌幸は秀吉の直臣である。

織田政権の代表的な例をあげる。

  • 織田信忠-河尻秀隆・森長可ら
  • 柴田勝家-不破光治・佐々成政・前田利家の府中三人衆
  • 明智光秀-細川藤孝・筒井順慶ら

の例がある。

大河ドラマ「真田丸」第18話「上洛」レビュー

昌幸(草刈正雄)が上洛前、出浦昌相(寺島進)と酒を酌み交わすシーンでは、

出浦(寺島進)が「なんならわしが明智光秀になっても構わんぞ」

というセリフが印象的だった。

このセリフですべてが分かる。やはり出浦(寺島進)はカッコイイ!

豊臣家が真田家を「ないがしろ」にしている中、大谷吉継(片岡愛之助)は違った。

わざわざ昌幸(草刈正雄)に会いに来て、「楠木正成の再来」と最高の賛辞を述べている。

数少ない豊臣家の良識・大谷形部(片岡愛之助)と真田家との絡みも注目していきたい。

第18話「上洛」では、真田昌幸の無念さを草刈正雄が好演技で表現してる。

男の哀愁というか男の悲しさを表情と背中で演技している。

それはセリフがなくとも見てるものにビシビシと伝わる。

素晴らしい演技だ!

昌幸(草刈正雄)は源三郎信幸(大泉洋)と源次郎信繁(堺雅人)に問いかける。

昌幸(草刈正雄)「わしはどこで間違った?教えてくれ。わしはどこで間違った?」

源三郎信幸(大泉洋)と源次郎信繁(堺雅人)は父・昌幸(草刈正雄)をかばった。

ジーンときた・・・。

出浦昌相(盛清)。森長可の信濃脱出を助ける甲州透破(忍者)の統率者
「真田丸」では俳優・寺島進が演じてます。寺島進がカッコいいのか、出浦昌相がカッコいいのか・・・。清和源氏信濃村上氏の一族なんですね。甲州透破(忍者)の統率者。「真田丸」でもまさに「素っ破」。織田家が信濃から撤退した後は、真田家に仕えます。子・出浦幸吉は、松代藩の家老になります。
大谷刑部少輔吉継。義の人、石田三成との友情~関ヶ原の戦いで散る
大谷吉継の前半生は少し謎の部分が多いです。「秀吉の隠し子説」は根拠がないが好きな話です。奉行としては優秀だったようです。大谷刑部に関しては賛否両論があり過大評価なんて声もあります。あまり解明されていないからミステリアスでもあり、人気があるのかもしれません。やはり関ヶ原の戦いでの強烈な奮戦と死に様でしょうか・・・。

毛利勝永に岡本健一

大坂の陣で運命をともにする毛利勝永に元男闘呼組・岡本健一が決定!

父は毛利勝信(森吉成)。官位は従五位下・豊前守。父とともに西軍として関ヶ原の戦いに参戦。

長宗我部盛親・真田信繁(幸村)・毛利勝永・後藤又兵衛(基次)・明石全登の五人を大坂城5人衆と呼ぶ。

岡本健一自身は20年ぶりの大河ドラマ出演。楽しみデス!

毛利勝永。大坂五人衆とよばれ、大坂夏の陣では豊臣秀頼を介錯
豊臣家の譜代である毛利勝永。大坂五人衆のひとりである。父は毛利勝信(森吉成)。尾張出身で官位は従五位下・豊前守。名前は森吉政、毛利吉政、毛利勝永。通称は豊前守。号は一斎。兄弟は弟・吉近(山内勝近)。「真田丸」ではジャニーズ事務所所属の元男闘呼組・岡本健一が演じる。毛利勝永といえば大坂冬の陣・大坂夏の陣なのだが・・・。

「真田丸」第18話「上洛」視聴率

堺雅人主演の大河ドラマ「真田丸」第18話「上洛」が2016年5年8日放映された。平均視聴率は19.1%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。

すごいですね~、視聴率が大幅アップしました。なにが起こったんでしょう?

「早丸」と呼ばれるBSは5.1%で好調なようです!3週連続5.0%超え!!

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まとめ

いろんなことが凝縮された放送回であった。

「惣無事令」について少し書く。

惣無事令に関しては、疑問視されてるようだが、秀吉は大名同士の私闘を禁じた。

これが名胡桃城事件・小田原征伐・奥州仕置につながっていくのである。

それでは感謝の気持ちでしめます。いつもありがとうございます・・・。by aki(@aoplanning_com)

お読みくださってありがとうございました。それでは。

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