「真田丸」第21話「戦端」感想。豊臣秀吉が沼田領問題に着手

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関白・豊臣秀吉は天下統一を焦っていた。捨(鶴松)のためか、自分の年齢のためか、次に見えている唐攻めなのかはわからない。秀吉の周囲の人間は、おのずと運命を翻弄される。家康は沼田領問題を喉に刺さった小骨と表現している。真田家・北条家・徳川家、そして豊臣家。それぞれの思惑を秘め、沼田領問題が少しづつ動きだす・・・。

こんにちは、こんばんは、はじめまして、毎度です(笑)。aoplanning.comの管理人aki(@aoplanning_com)です。

第21話「戦端」から数回は北条回なのだろうか・・・?

歴史好きの管理人が大河ドラマ「真田丸」レビューを好き勝手に記事投稿します。

それではいってみよう!

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大河ドラマ「真田丸」第21話「戦端」あらすじ

関白・豊臣秀吉は再三に渡り北条家の上洛を促した。が、北条家は仲々上洛しない。千利休は茶室での密談で「北条征伐」を勧める。面白くないのは石田三成だ。三成は戦闘自体を避けたい考えだ。

秀吉は天下統一を焦っていた。捨(鶴松)のためもあるが、自分の年齢のこともあるだろう。織田信長の「敦盛」ではないが、人間五十年の時代である。秀吉は、その年令を超えている。

上田城には、しょっちゅう本多平八郎忠勝が娘・稲の見舞いと称して顔を出す。気が休まる時がない源三郎信幸(笑)。

徳川家康は北条氏政に上洛することを勧める。臣従とは形ばかりで、上杉・真田もしてきたように何も変わらないことを説明するが、氏政は上洛に躊躇している。

それでも氏政は沼田が北条家の所領になったら上洛することを伝えた。秀吉は氏政の返答に怒っていたが、三成はいたって冷静だ。沼田で北条が上洛するならという考えだ。三成らしいといえる合理的な考え方である。

沼田といえば問題なのは真田家。沼田のことは知らせず真田昌幸を上洛させた。三成と大谷刑部の命により、源次郎信繁は父・昌幸の説得を開始する。

刑部の提案により、秀吉の前で沼田領問題を真田・北条・徳川で決着されることが決まった。秀吉は乗り気である。

氏政はあくまでも沼田が北条家の所領にならないと上洛しない。北条家からは重臣・板部岡江雪斎、徳川家からは本多佐渡守正信が上洛することとなった。

昌幸は出浦昌相を伴って上洛していた。昌相と源次郎信繁に諭された昌幸は話し合いの場に出席することを決めていたが、氏政・家康が上洛しないことを聞いて、また激怒した。

なぜか真田家は源次郎信繁が名代を務めることになった。源次郎信繁は、三成と刑部の戦を避けたい思いを痛いほど知っている。そして父・昌幸の沼田に対する思いも知っている。

関白・豊臣秀吉の御前で真田・北条・徳川・豊臣の思惑を秘めた沼田領問題に関する話し合いが始まろうとしている。

千利休(宗易)。織田信長の茶頭から豊臣秀吉の側近へ、わび茶を完成
堺の商家の生まれで、商人・茶人の千利休(宗易)。わび茶(草庵の茶)の完成者であり、「利休七哲」など数多くの弟子を抱え、茶聖と称された。今井宗久・津田宗及と共に茶湯の天下三宗匠。天下人・豊臣秀吉の側近の一面もあり、茶人として名声と権威を誇った。「黄金の茶室」の設計でも有名だが、利休の茶道とはかけ離れたものだろう・・・。
石田三成。三献茶から佐和山城主、五奉行の一人~関ヶ原の戦い
石田三成は秀吉が天下人になると秀吉の子飼いから次第に台頭する。確かに三成は槍働きの武将ではない。忍城水攻めの失敗から戦下手のイメージもある。秀吉の子飼いでも福島正則などとは正反対の武将だ。歴史とは勝者が都合よく伝えたものがほとんどである。三成の研究が進むことを望む。でもなんだろう石田三成のことを思うと切なくなる・・・。
大谷刑部少輔吉継。義の人、石田三成との友情~関ヶ原の戦いで散る
大谷吉継の前半生は少し謎の部分が多いです。「秀吉の隠し子説」は根拠がないが好きな話です。奉行としては優秀だったようです。大谷刑部に関しては賛否両論があり過大評価なんて声もあります。あまり解明されていないからミステリアスでもあり、人気があるのかもしれません。やはり関ヶ原の戦いでの強烈な奮戦と死に様でしょうか・・・。
出浦昌相(盛清)。森長可の信濃脱出を助ける甲州透破(忍者)の統率者
「真田丸」では俳優・寺島進が演じてます。寺島進がカッコいいのか、出浦昌相がカッコいいのか・・・。清和源氏信濃村上氏の一族なんですね。甲州透破(忍者)の統率者。「真田丸」でもまさに「素っ破」。織田家が信濃から撤退した後は、真田家に仕えます。子・出浦幸吉は、松代藩の家老になります。

徳川家康と北条氏政

徳川家康(内野聖陽)は関白・豊臣秀吉(小日向文世)に北条氏政(高嶋政伸)のことを聞かれた。

家康(内野聖陽)は

「早雲より四代目、関八州の覇者たる誇りと自信を一人で背負い込んだ男でござります」

と返答している。

う~ん、っと唸ってしまった。わかりやすくて、凄いセリフだ!

家康(内野聖陽)は、氏政(高嶋政伸)に最後通告をした。有事の折には、氏直に嫁がしている娘・督姫を返してもらうと言っている。

氏政(高嶋政伸)の表情が変化した。氏政(高嶋政伸)は、昔のことを思い出したのであろう。

北条氏政は甲相駿三国同盟により、武田信玄の娘・黄梅院を正室に迎えた。しかし信玄の駿河侵攻により三国同盟は破綻。氏政の父・氏康は激怒し、嫁(黄梅院)を武田家に返した。

そんなことを思い出した氏政(高嶋政伸)の表情が妙に気になってしまった・・・。

北条氏政。早雲より四代目、関八州の覇者たる誇りと自信を背負い込む
北条氏政。大河ドラマ「真田丸」では徳川家康演じる内野聖陽が「早雲より四代目、関八州の覇者たる誇りと自信を背負い込む」と評している。父は名将と評された北条氏康。そして氏政は隠居の身であったが、小田原北条氏を滅亡させた事実上の当主としてのレッテルがついてまわる。後北条氏4代当主・北条氏政とは・・・。

義父・本多平八郎忠勝

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本多平八郎忠勝(藤岡弘、)は娘・稲(吉田羊)の上田城に足繁く通っている。源三郎信幸(大泉洋)は、ウンザリな様子で気が休まる時がない。

昌幸(草刈正雄)が上洛することが決まった時、連れて行ってくれと願いでたが却下された。城を守る留守居役は嫡男の勤めであることはわかっているだろうが、却下された源三郎信幸(大泉洋)の表情は良かった(笑)。

秀吉に「日本第一、古今独歩の勇士」と称された忠勝(藤岡弘、)も人の親だ。娘が心配で可愛くてしょうがないのが伝わる。

頻繁に駿府・上田間を往復している本多平八郎忠勝(藤岡弘、)。

「俳優・藤岡弘、」といえば、その昔、仮面ライダー1号・本郷猛役で一世を風靡したことを思い出した。

そして今日も、本多平八郎忠勝(藤岡弘、)は「サイクロン号」に跨がり、上田城に向かうのであった・・・(笑)。

本多平八郎忠勝。小松姫の実父であり、徳川四天王、徳川十六神将
徳川四天王、徳川十六神将である本多平八郎忠勝。上総大多喜藩主、伊勢桑名藩主。官位は従五位下・中務大輔。豪将であり義の人というイメージです。真田昌幸、信繁(幸村)の助命があるからだと思います。生涯57回の戦で一度も負けなかったが、死の数日前、小刀で手元が狂って左手にかすり傷を負ってしまったことは有名である。
小松姫(稲姫・小松殿)。真田信幸(信之)の正室、父は本多平八郎忠勝
本多平八郎忠勝の娘からか、「薙刀」を持った逸話からか、気丈なイメージがある小松姫。真田信幸(信之)との夫婦仲は良かったようです。信幸(信之)とは仲々子供ができなかったようで、信幸(信之)に側室をすすめています。真田家には徳川家康の養女として嫁いでます。小松姫といえば沼田城での薙刀で武装している姿ですが・・・。
真田信幸(信之)と本多平八郎忠勝の娘、正室小松姫
弟真田信繁(幸村)と違って地味な印象がある真田信幸(信之)。しかし関ヶ原の戦い、大坂の陣を乗り越え真田家を残すのは真田信幸(信之)である。そして信幸(信之)の真田家は幕末まで残り、明治維新をむかえる。その血筋は現在まで残る。信幸(信之)の正室は本多平八郎忠勝の娘、小松姫である。この二人に焦点をあてて記事投稿をします。

近江中納言・豊臣秀次

豊臣秀次(新納慎也)が、もう近江中納言になっている。ほか「新中納言」「江州中納言」とも称されている。ついこの前までは「近江宰相」だったのに・・・。

秀次(新納慎也)が「きり(長澤まさみ)」に自身のことを話すシーンではグッときてしまった。

この若き近江中納言が「自分には後を継ぐ器量はない」と言っている。本心かどうかわからないのだが・・・。それとも身の危険を感じているのであろうか。

「風車」を自分では捨(鶴松)に渡さず、きり(長澤まさみ)に託した。

近江中納言殿の最期を知っている我々には、感慨深い放送回であった・・・。

豊臣秀次。殺生関白の表現もあるが、文化人・教養人としての一面も
天下人・豊臣秀吉の甥になる豊臣秀次。少年期は叔父・秀吉の立場に振り回され養子に出される。殺生関白の記述もあり、悪行はあったにせよ文化人・教養人であったとも言われる。秀吉により関白・豊臣家の家督を継いだ。これが悲劇の始まりであったのかもしれない。もし関白になっていなかったなら・・・。秀次の最期は壮絶の一言であろう。
豊臣秀次事件。豊臣政権に亀裂が生じ、関ヶ原の戦いの一因?
1595年(文禄4年)6月末、関白・豊臣秀次に謀反の疑いが持ち上がる。豊臣秀次事件の始まりである。粛清の理由は諸説あり、ハッキリとはわかっていない。秀次が切腹したのは事実であり、秀次の係累は根絶された。そこまでする必要があったのだろうか。聚楽第、近江・八幡山城は破却された。秀次という人物がいなかったかのように・・・。
真田信繁(幸村)の側室、高梨内記の娘。真田丸では「きり」
真田信繁(幸村)の側室で高梨内記の娘。真田丸では「きり」という名前で長澤まさみが演じていると言ったほうがわかるでしょう。信繁(幸村)との間には、次女・於市、三女・阿梅(片倉重長後室)をもうけています。九度山にも同行している。阿梅は片倉小十郎重長の後室になり、信繁(幸村)の次男・大八も片倉家に養育されたといわれています。

豊臣秀吉が沼田領問題に着手

関白・豊臣秀吉(小日向文世)が沼田領問題解決に乗り出した。

ドラマでは秀吉(小日向文世)の御前で源次郎信繁(堺雅人)・板部岡江雪斎(山西惇)・本多佐渡守正信(近藤正臣)が沼田領問題について議論することになった。

史実では最初に豊臣派の北条氏規(北条家当主・北条氏直の叔父)が上洛し、惣無事令の受け入れと秀吉に忠誠を誓い、北条家は秀吉の傘下に入った。

次に板部岡江雪斎を上洛させ、沼田領問題について事情聴取。江雪斎は沼田領全土が北条家領となれば北条家当主・北条氏直が上洛すると秀吉に言っている。

これから秀吉の沼田領裁定・名胡桃城事件・小田原征伐の流れになっていくことが予想されるだけに、じっくり鑑賞してみたい!

真田家から見る沼田領問題。天正壬午の乱から小田原征伐まで。
真田家から見ると沼田領は、重要な領土であった。沼田領問題は、天正壬午の乱から小田原征伐に至るまで、なかなか解決しなかった。真田昌幸が変幻自在に主君をかえながら、なんとか沼田領を死守する。豊臣秀吉の裁定により北条家の領土になるが、北条氏滅亡後は、真田信幸(信之)が城主になることで、ふたたび沼田領は真田家に戻るのである。。
名胡桃城事件。豊臣秀吉の沼田領裁定~小田原征伐のキッカケとなる
天正17年(1589年)、豊臣秀吉の沼田領裁定により、真田家と北条家が争ってきた沼田領問題は解決したかに見えた。しかし名胡桃城奪取事件は起きた。名胡桃城奪取事件が本当に起きたかどうかは別にして、結果的に小田原征伐は決行された。秀吉の沼田領裁定から名胡桃城奪取事件、そして小田原征伐に至るまでを記事投稿する。
板部岡江雪斎。北条三代の外交僧、北条滅亡後は秀吉・家康に仕える
北条三代(氏康・氏政・氏直)に仕えた外交僧・軍師である板部岡江雪斎。後北条家滅亡後は豊臣秀吉・徳川家康に仕えている。千利休の高弟・山上宗二と交流があり、和歌・茶の湯にも造形が深かったと言われる。愛刀の江雪左文字は国宝であり、執権・北条氏(北条時行)の子孫とされる。

大河ドラマ「真田丸」第21話「戦端」レビュー

やっぱり「こう(長野里美)」は元気になっているようだ。薫(高畑淳子)が言ってるのだから間違いないだろう。

しゃもじも持てないくらい病弱だった「おこう(長野里美)」は、すっかり健康も回復し、源三郎信幸(大泉洋)のそばに入れる幸せを感じているに違いない。

もう少し徳川家康と北条氏政について書きたいと思う。

徳川家康は、耐え忍んで秀吉に臣従した。有働由美子アナのナレーション通りだとすれば、北条氏政の奢りは北条家にとって最悪の事態を招いた。

ここが大きな分岐点だったのだろう。元々、家康の松平家は小領主、氏政の北条家は大領主。一方は天下人になり、もう一方は家を滅亡させた。

なおかつ家康には幼少期の人質時代を経験した苦労があった。間近で織田政権・豊臣政権の長所・短所も見てきただろう。

家康が天下人になるためには織田信長・豊臣秀吉に臣従する期間は必要であった。自然と信長・秀吉を反面教師にしたはずだ。

天下人が見えてきた時、家康は「天下人とは」の結論を経験などに基づいて導き出したのではないだろうか。

歴史は天下人として「徳川家康」を選んだ。

そして家康が作った徳川幕府は約260年間続いた・・・。

山手殿(寒松院)。真田昌幸の正室、「真田丸」では薫。
「真田丸」では薫という名で女優・高畑淳子が演じる。真田昌幸の正室・山手殿。子は、長女の村松殿、嫡子の真田信幸(信之)、次男の真田信繁(幸村)。昌幸が九度山に幽閉されたおりには同行せず、信幸(信之)が引き取る。すぐに出家して寒松院と改める。出自については諸説ある。「真田太平記」では、菊亭(今出川)晴季の娘。
清音院殿、真田信幸(信之)の正室で信吉を産む。真田丸では「こう」
真田丸では「こう」という名前で、女優・長野里美が演じている清音院殿。清音院という名前は戒名からである。真田信幸(信之)の正室で長男・信吉を産みます。父は真田信綱。母は於北殿(高梨政頼の娘または妹)。のちに信吉は沼田城主になっている。大河ドラマ・真田丸での「おこう」は病弱ではあるが、魅力的なキャラクターになっています。
徳川家康は関ヶ原の戦い後、征夷大将軍までなぜ三年かかったのか?
徳川家康は関ヶ原の戦い後、征夷大将軍までなぜ三年かかったのか?について考えてみます。結論から言うと「源氏長者」が必要だったからです。豊臣秀吉のように関白として天下人になるのか、源頼朝のように征夷大将軍として幕府を開くのか、どちらにしても「源氏長者」は必須だったのではないかと思ってます。

真田丸紀行

真田丸紀行では沼田が紹介された。

河岸段丘にも触れられている。

管理人は河岸段丘のことは、以前放送された「ブラタモリ」で初めて知りました。

沼田城について記事をまとめてみました。よろしければ参考にしてみてください。

真田家と沼田城。真田信幸(信之)の正室・小松姫の逸話と平八岩。
沼田領問題のもとになる沼田城。交通の要所であり、各大名から見ても真っ先に取得したい城であった。事実、城の支配者は何回か交代する。豊臣秀吉による小田原征伐の火種にもなっている。紆余曲折ありながら、北条家滅亡後は、ふたたび真田家の支配となる。小松姫の逸話と平八岩を紹介しながら、おもに真田家と沼田城についての記事投稿です。

細川ガラシャに橋本マナミ

細川ガラシャ役に橋本マナミが出演することが決定した。

管理人は意外なキャスティングだとは思ったが、ちょっと楽しみデス!

細川ガラシャ。父は明智光秀、細川忠興の正室。最期は壮絶
細川ガラシャはキリスト教信徒(キリシタン)として有名。父は明智光秀、細川忠興の正室。本能寺の変後、しばらく幽閉されていたことも有名である。しかし細川ガラシャといえば、やはり壮絶な最期ではないだろうか。美談として語られることが多く、いろいろな題材として取り上げられている。最期については、当時の書物で書かれ方が違う。

「真田丸」第21話「戦端」視聴率

堺雅人主演の大河ドラマ「真田丸」第21話「戦端」が2016年5年29日放映された。平均視聴率は16.8%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。

前回放送より1.9%のダウンです。安定しませんね。アップダウンを繰り返しています。

「早丸」と呼ばれるBS視聴率は自己ベストタイの5.2%。

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まとめ

作兵衛(藤本隆宏)と「すえ」のシーンはホッコリした。少し見ない間に「すえ」が大きくなってることに驚いた!

大きなイベント「小田原征伐」へのステップのような放送回だと思ったが、どうしてどうして見どころ満載だった。

北条家滅亡のカウントダウンが始まろうとしている・・・。そして豊臣秀次の最期へのカウントダウンも始まったのだろうか・・・?

それでは感謝の気持ちでしめます。いつもありがとうございます・・・。by aki(@aoplanning_com)

お読みくださってありがとうございました。それでは。

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