秀吉は源次郎に「頼む、秀頼を」ではなく「頼む、佐吉を・・・」と言った。この時の秀吉は昔に戻っていたと思う。そして出浦昌相と本多平八郎忠勝の大立ち回り。「終焉」というタイトルにふさわしい放送回であった。「頼む、佐吉を・・・」の言葉に涙した・・・。
こんにちは、こんばんは、はじめまして、毎度です(笑)。aoplanning.comの管理人aki(@aoplanning_com)です。
太閤・秀吉の死がすぐそこまで迫っている・・・。
歴史好きの管理人が大河ドラマ「真田丸」レビューを好き勝手に記事投稿します。
それではいってみよう!
目次
大河ドラマ「真田丸」第31話「終焉」あらすじ
太閤・秀吉の死が近づいている。それは誰の目から見ても明らかなこと。徳川家康本人は言っていないが、阿茶局は「天下」を口にする。
しかし老衆(おとなしゅう・大老)だけでは、政(まつりごと)ができない約定がある。奉行の合意を得なければならないのだ。
本多正信の提案により、秀吉に新たに遺言状を書いてもらうことになった。もらうというより、無理やり書かせた。「かえすがえすも秀頼のこと・・・」で有名な遺言状である。
これを知った治部殿は激怒。遺言に奉行のことを書き加えることを思いつく。その作業も強引であった。秀吉は「疲れた・・・」「眠い・・・」を連発していたが、追加の文を無理やり書かせた。
淀殿であるが、秀吉の見舞いには来ない。秀頼に老いた秀吉の姿を見せたくないと言っているが、見たくないのは淀殿のようである。
人の死は経験しているが、死を目の当たりにしたのは息子・鶴松がはじめて。あの時から、お方さまの中で何かが変わった。実は弱い人なのですとは、大蔵卿局の言葉。
秀吉がいよいよであるという時、淀殿は秀頼とともに秀吉を見舞う。気丈に振舞っていたが、やはり北政所の胸で泣いてしまうのであった。秀頼が鳴らした鐘の音が、なにか物哀しい・・・。
秀吉は治部殿に「家康を殺せ」と命令する。治部殿は忍城の戦い以来、安房守を師と仰いでいた。家康暗殺の件を安房守に相談する。
徳川屋敷に忍び込んだ出浦昌相であったが、家康殺害は失敗に終わる。
そして、いよいよその時はやってきた。
太閤・豊臣秀吉が死去。
希代の英雄も病?には勝てなかった・・・。
金吾中納言と蝋燭(ろうそく)
秀吉(小日向文世)は燭台の火を消すなと源次郎信繁(堺雅人)に命令していた。燭台の火が消えた時は、自分の命の火も消える時と言っている。
秀吉を見舞いに来た「金吾中納言」こと小早川秀秋(浅利陽介)は、なんと蝋燭の火を消してしまった。その場にいた徳川家康(内野聖陽)と源次郎信繁(堺雅人)は呆然・・・。
脚本家・三谷幸喜氏は、以前のインタビューで「横山三国志で一番好きだったのは、魏延が尻で蝋燭倒して諸葛亮の延命の儀式を台無しにしたシーン」と言っている。
今回の「金吾中納言と蝋燭(ろうそく)」の話は、なんとも三谷氏らしいオマージュであろう。
丞相・諸葛孔明の死後、魏延の行動は反逆とみなされ殺害されている。のち関ヶ原の戦いで小早川秀秋は・・・。
このシーンには秀吉を除くと三人の人物がいた。三人とは、徳川家康(内野聖陽)・小早川秀秋(浅利陽介)・真田信繁(堺雅人)なのだが。
よりによって、この三人とは・・・。
血まみれの少年
徳川家康(内野聖陽)は秀吉(小日向文世)の見舞いと称して、遺言状を書かせるために秀吉(小日向文世)の寝所を訪れる。その時に信長公より拝領した鎧を持参する。
秀吉(小日向文世)は、馬の蹄の音で目が覚める。信長公の鎧が「ピカッ」と光る。恐怖のあまり、秀吉(小日向文世)は布団をかぶる。恐る恐る秀吉(小日向文世)が顔を覗かせると、
そこには「血まみれの少年」が立っていた。
「血まみれの少年」の正体は、浅井長政の嫡男・万福丸だ。その昔、小谷城落城時、信長の命令により磔にして処刑した「万福丸」である。淀殿(茶々)の兄にあたる。
この少年は万福丸なのかもしれないが、見方によっては「将来の秀頼」ともとれる。
この後すぐに秀吉(小日向文世)は治部殿に「家康を殺せ」と命令している・・・。
徳川秀忠と真田信幸
信幸(大泉洋)が徳川屋敷を訪問した時には徳川秀忠(星野源)も同席していた。
信幸(大泉洋)が帰るときには、二人きりになり何気ない会話を交わしている。秀忠(星野源)も正室・江については何かと苦労しているらしい・・・。
この二人きりのシーンは、もうまもなく起こる「第二次上田合戦」への伏線であろう。
出浦昌相と本多平八郎忠勝の大立ち回り
楽隠居を決め込む安房守(草刈正雄)に、出浦昌相(寺島進)は業を煮やしていた。
そんなおり、治部殿(山本耕史)から家康暗殺の話が真田家に舞い込む。
出浦殿(寺島進)は「一番カラスが鳴く前には戻る」と言って、徳川屋敷に向かう。
屋根裏から家康殺害のタイミングを伺う。
そこにはなぜか源三郎信幸(大泉洋)が徳川屋敷にいた。源三郎(大泉洋)は、百助以外にも子供がいることを家康(内野聖陽)から本多平八郎忠勝(藤岡弘、)に話して欲しいと頼みに来ていた。
源三郎(大泉洋)が「なんでいるんだ、いなけりゃいいのに・・・」と思った視聴者は、たくさんいたはずだ。
源三郎(大泉洋)に「火遁の術」の音を聞かれてしまう。忠勝(藤岡弘、)は槍を屋根裏に一閃。
出浦殿(寺島進)は忍び込んでいたのが、バレてしまう。
出浦昌相(寺島進)と本多平八郎忠勝(藤岡弘、)の大立ち回りが始まる。
出浦殿(寺島進)が忠勝(藤岡弘、)の槍を真っ二つにする。槍は「蜻蛉切」ではないだろう。
出浦殿(寺島進)は、信幸(大泉洋)に遭遇。その隙に、背中から忠勝(藤岡弘、)に斬られてしまう。それでも命からがら徳川屋敷から脱出。
佐助(藤井隆)に助けられ、出浦殿(寺島進)はボロボロになって真田屋敷に帰ってくる。
安房守(草刈正雄)が頬ずりしながら、出浦殿(寺島進)を抱きかかえる。涙するシーンだ!
立ち回りのシーンは格好いいし、最後は泣ける。
この一連のシーン、出浦殿(寺島進)の真田丸における名シーンのひとつになるのではないだろうか。それくらい良かった・・・。
それから史実での出浦昌相の最期は、もう少し先の話になるので、今回は何とか大丈夫だと思われます。
大河ドラマ「真田丸」第31話「終焉」レビュー
刑部殿(片岡愛之助)の病状は悪化の一途をたどっている。わかっていはいるけど、なんか切ないな~。
見るに忍びないというか、刑部殿(片岡愛之助)を見ていると、いたわしくて見ていられない気持ちでいっぱいになる・・・。
治部殿(山本耕史)・刑部殿(片岡愛之助)・源次郎信繁(堺雅人)の三人のシーンでは、治部殿(山本耕史)が二人に協力を求め丁重に頭を下げている。
治部殿(山本耕史)の必死さが伝わる・・・。
そして第25話「別離」以来となる水垢離(みずごり)。身にまとっているのは褌(ふんどし)一丁。
今回「三成脱ぐ」のタグでのツイートは少なかったように感じる。
管理人は、この褌(ふんどし)一丁の姿さえ、格好良く思えてしまった。
変な意味ではなく、秀吉と佐吉の関係性が垣間見えたというか・・・。
治部殿(山本耕史)を引き立たせている意味では、小日向文世さんの秀吉の演技が素晴らしい!
思えば小日向さんは、いろんな秀吉の顔を見せてくれた。どれも素晴らしかった。
強烈なインパクトを皆に残した「秀吉」だった。
ありがとう小日向文世さん!!
「頼む、佐吉を・・・」
今回、管理人が一番感動したシーンを振り返る。
寝ていた秀吉(小日向文世)は源次郎(堺雅人)を呼ぶ。
秀吉(小日向文世)「源次郎・・・」
秀吉(小日向文世)「頼む、佐吉を・・・」
源次郎(堺雅人)「石田様を・・・」
秀吉(小日向文世)「支えてやってくれ、寂しい男でな・・・」
源次郎(堺雅人)「かしこまりました。」
「秀頼を頼む」とばかり言っていた秀吉(小日向文世)が「頼む、佐吉を・・・」なんて・・・。
ここで管理人は涙が止まらなかった。今回、一番いいシーンだったと思う!
ドラマで秀吉と三成の関係性は何回も見てきたけど、真田丸が一番しっくり来る。スゲ~としか言い様がない。
巨星墜つ
「黄金の日日」風に言うならば、英雄・秀吉にも死神がやってきた。
目が覚めた秀吉(小日向文世)は、異変を感じ「鐘」を探した。
有働アナのナレーションとともに。
有働アナ「一代の英雄が最期の時を迎えようとしている。」
秀吉(小日向文世)はベッドから落ち、這いつくばり鐘のところへ・・・。
有働アナ「栄華を極めた男の人生の締めくくりとしては、それはいかにも寂しいものであった」
秀吉(小日向文世)は力尽きた。
有働アナ「太閤・豊臣秀吉。享年62」
1598年(慶長3年)8月18日、巨星墜つ。秀吉の遺言により死は隠されたため、通夜・葬儀はとりおこなわれてないと伝わる。
秀吉(小日向文世)は誰にも気づかれず死んだ。
目を開けたまま、その目からは一筋の涙が流れた・・・。
「真田丸」第31話「終焉」視聴率
堺雅人主演の大河ドラマ「真田丸」第31話「終焉」が2016年8年7日放映された。平均視聴率は17.3%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。
前回放送よりV字回復なんて言われている。管理人としては、もう少し回復すると思ったんですが・・・。
回復は嬉しい限りですが、秀吉の最期の放送回だっただけに、もうちょっとだけ(笑)。
「早丸」と呼ばれるBS視聴率は自己最多タイの5.2%で好調キープ。
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まとめ
第31話「終焉」は、「鐘」がキーワードなのだろうか??
豊臣家と鐘といえば、「方広寺鐘銘事件」に繋がる。大坂冬の陣のキッカケになった、あの鐘のことだ。
もうひとつ管理人は「バテレンの鐘」を連想してしまう。
「黄金の日日」で石川五右衛門刑死の時、助左衛門が何度も鳴らした、あの鐘の音・・・。
最後に豊臣家は秀吉を失った。豊臣家を託された治部殿(山本耕史)。これからのことを思うと切なすぎる。
関ヶ原の戦いまで、あと二年。治部殿と刑部殿の終焉が近づいている・・・。
それでは感謝の気持ちでしめます。いつもありがとうございます・・・。by aki(@aoplanning_com)
お読みくださってありがとうございました。それでは。