「真田丸」第36話「勝負」感想。第二次上田合戦~超高速関ヶ原

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この記事の所要時間: 1210(文字数:7,304文字)

犬伏の別れにより真田家は二分された。小山評定により、のちに東軍と呼ばれる会津征伐に従軍していた軍勢は、上方へ引き返すことを決定した。安房守・左衛門佐は上田城に戻り、急ぎ戦支度をした。上田城を中心に徳川秀忠率いる徳川軍と真田軍は再び激突した。そう、この一連の戦いは誰の目から見ても長引くはずだった・・・。

こんにちは、こんばんは、はじめまして、毎度です(笑)。aoplanning.comの管理人aki(@aoplanning_com)です。

真田の生き残りをかけた大勝負が始まった・・・。

歴史好きの管理人が大河ドラマ「真田丸」レビューを好き勝手に記事投稿します。

それではいってみよう!

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大河ドラマ「真田丸」第36話「勝負」あらすじ

徳川内府が下野・小山に到着。上方で治部殿らが挙兵して伏見城を攻撃したことを知る。伊豆守は安房守・左衛門佐が離反したことを報告。

あくる日、会津征伐に従軍していた諸大名は軍議を開く。いわゆる「小山評定」だ。福島正則の発言どおり諸将は結束した。これが徳川方というか、関ヶ原の戦いでは東軍になる。

安房守と左衛門佐は、上田城に戻り戦に備える。安房守は恩賞として、甲斐・信濃の二カ国を望む。刑部殿は「よいではないか、くれてやれ」という。そして「この戦、案外真田が要やもしれぬぞ」のセリフにはゾクゾクしてしまった!

徳川内部で伊豆守の立場は少し疑われている。それを払拭するために徳川内府より、伊豆守は先鋒を命じられる。

左衛門佐は伊豆守と戦わないために策を講ずる。砥石城を守るふりをして、伊豆守に砥石城を落とさせるというのだ。これを伊豆守に知らせ、伊豆守は徳川方で砥石城攻めを申し出て了承される。

伊豆守に内通するものとして、矢沢三十郎頼幸が選ばれ伊豆守の軍勢を砥石城内に入れる。示し合わしたとおり、伊豆守は砥石城を落とし、左衛門佐の軍勢は撤退する。

この戦いで、伊豆守は砥石城を一歩も出ることはなかった。こうして真田同士で戦うことは回避できたのである。

上田城攻めに苦戦してたところに、内府より徳川秀忠に知らせが届く。左衛門佐は徳川軍と戦っていると思ったが、徳川軍は上田城攻めを中止していた。

内府の命令により、徳川秀忠を総大将とする徳川軍は上方へ急いでいた。

天下分け目の大戦が始まろうとしていた・・・。

小山評定

会津征伐に従軍していた諸大名は集められ、福島正則(深水元基)の発言以下に結束を誓うことだけが描かれた。

いつものとおり、大声で細川忠興(矢柴俊博)が正則(深水元基)に倣っている(笑)。

福島正則。羽柴清須侍従、広島城改修などが原因で晩年は改易
福島正則は羽柴清須侍従などと呼ばれた。幼少期を秀吉の小姓として加藤清正らと育っている。また賤ヶ岳の七本槍の一人としても有名。朝鮮出兵後は、石田三成らの文治派と対立する。会津征伐に従軍し、小山評定では重要な役割を果たし、関ヶ原の戦いで東軍が勝利する流れを作った。
細川忠興。本能寺の変後は正室・玉子を幽閉、茶道・三斎流の開祖
「茶道四祖伝書」では、細川忠興は「天下一気の短い人物」と書かれた。父は細川藤孝(幽斎)。正室は明智玉子(洗礼名:ガラシャ)。父・幽斎(藤孝)と同じ教養人で、和歌や能楽、絵画にも通じた文化人であった。著書には「細川三斎茶書」がある。「利休七哲」の一人に数えられ、茶道の流派・三斎流の開祖。

何の説明もなかったが、「小山評定」である。

史実での小山評定は、

  • 1600年(慶長5年)7月24日、下野小山に到着。三成が挙兵し伏見城攻撃を開始したことを鳥居元忠の使者から知る。
  • 1600年(慶長5年)7月25日、会津征伐に従軍した諸大名を招集し軍議を開催。「小山評定」である。

鳥居元忠。秀吉からの官位を断る家康への忠義、伏見城の戦いで戦死
忠義の三河武士・鳥居元忠。徳川十六神将。豊臣秀吉からの官位の推挙は固辞。下総香取郡矢作藩(千葉県香取市矢作)の藩祖。1600年(慶長5年)、伏見城の戦いで壮絶な最期をとげている。家康は伏見城の血染め畳を江戸城の伏見櫓の階上におき、登城した大名たちに元忠の精忠を偲ばせている。伏見城の床板は「血天井」として現在も伝わる。

詳細は記事投稿してますので、よろしければ参考にしてみてください。

小山評定。家康包囲網を打破し、関ヶ原の戦い勝利の流れを作る
徳川家康は会津征伐のため下野小山に到着。鳥居元忠の使者から石田三成が挙兵し伏見城攻撃を開始した知らせを受ける。1600年(慶長5年)7月25日、会津征伐に従軍した諸大名を招集し軍議を開催。「小山評定」である。西軍・東軍の選別がなされ、東軍が一致団結した大きなイベントであることは間違いない。その流れで関ヶ原の戦いに至る。
会津征伐。直江状により上杉征伐を決意、関ヶ原の戦いの幕開け
太閤・豊臣秀吉の死後、豊臣政権の五大老筆頭・徳川家康は台頭した。ことごとく秀吉の遺命に背いた。勝手に諸大名の屋敷を訪れ、諸大名との縁組を行った。石田三成襲撃事件・徳川家康暗殺疑惑事件により、政敵・石田三成、前田利長を追い落とした。次のターゲットは、会津の上杉景勝。しかし会津征伐の真の狙いは・・・。

史跡・小山評定跡

【武将ゆかりの地】史跡・小山評定跡。東軍諸将結束の軍議の場所,画像01

「史跡・小山評定跡」「小山御殿跡」に行ってきました。

詳細は記事投稿してますので、よろしければ参考にしてみてください。

史跡・小山評定跡。東軍諸将結束の軍議の場所、小山御殿跡
関東に在住する管理人が「史跡・小山評定跡」に行ってみた。慌ただしく大河ドラマ「真田丸」第36話「勝負」放送日の前日に訪れた。事前に調査しないで行ったので、隣の敷地に「小山御殿広場」があるのを知らなかった。徳川家にとっては、縁起の良い場所になり、歴史的にも重要な場所である。小山評定にも触れています。

小松姫と沼田城

安房守(草刈正雄)と左衛門佐(堺雅人)は、沼田城に立ち寄ろうとした。

中に入れてもらえると思っていた一行の前に稲(吉田羊)が薙刀をもって立ちはだかる。そばには「おこう(長野里美)」もいた。

有名なシーンですよね~。

小松姫(稲姫・小松殿)。真田信幸(信之)の正室、父は本多平八郎忠勝
本多平八郎忠勝の娘からか、「薙刀」を持った逸話からか、気丈なイメージがある小松姫。真田信幸(信之)との夫婦仲は良かったようです。信幸(信之)とは仲々子供ができなかったようで、信幸(信之)に側室をすすめています。真田家には徳川家康の養女として嫁いでます。小松姫といえば沼田城での薙刀で武装している姿ですが・・・。
清音院殿、真田信幸(信之)の正室で信吉を産む。真田丸では「こう」
真田丸では「こう」という名前で、女優・長野里美が演じている清音院殿。清音院という名前は戒名からである。真田信幸(信之)の正室で長男・信吉を産みます。父は真田信綱。母は於北殿(高梨政頼の娘または妹)。のちに信吉は沼田城主になっている。大河ドラマ・真田丸での「おこう」は病弱ではあるが、魅力的なキャラクターになっています。

小松姫は、安房守の入城は断ったが、宿に孫達を連れて会わせたといわれる。

ドラマで安房守(草刈正雄)と左衛門佐(堺雅人)は、沼田城に行く前に仙千代・百助との再会を果たしている。

真田家と沼田城。真田信幸(信之)の正室・小松姫の逸話と平八岩。
沼田領問題のもとになる沼田城。交通の要所であり、各大名から見ても真っ先に取得したい城であった。事実、城の支配者は何回か交代する。豊臣秀吉による小田原征伐の火種にもなっている。紆余曲折ありながら、北条家滅亡後は、ふたたび真田家の支配となる。小松姫の逸話と平八岩を紹介しながら、おもに真田家と沼田城についての記事投稿です。

第二次上田合戦

主に砥石城攻めをを中心に描かれた。

伊豆守(大泉洋)と左衛門佐(堺雅人)をクローズアップするには、これしかないですよね。素晴らしい!

  • 安房守(草刈正雄)が降伏するふりをする
  • 徳川軍が苅田をする

などなど史実通りです。

この一連の戦いが「第二次上田合戦」と言われます。

第二次上田合戦、犬伏の別れにより真田父子が東軍・西軍に
第一次上田合戦(神川合戦、上田・神川の合戦)から15年。真田家と徳川家は上田城を舞台に再び激突した。真田昌幸の嫡男・信之は徳川秀忠方である。第一次上田合戦に続いて第二次上田合戦も真田家の勝利。秀忠は関ヶ原本戦には遅参。が関ヶ原の戦いは東軍の勝利で終わる。真田昌幸・信繁(幸村)は高野山に流罪。のちに九度山に流罪になる。

第13話「決戦」での「第一次上田合戦」も素晴らしかったですが、今回も良かったです!

真田丸と真田太平記の第一次上田合戦(神川合戦)の放送回を比較
「真田丸」第13話「決戦」で第一次上田合戦が描かれ信繁青春編が終わった。「真田太平記」第8話「上田城死守」をもう一度見てみた。どちらがいいかは別にして「真田丸」第13話「決戦」を考えてみた。別に古いドラマがいいとは思っていないが、なんだろう複雑な気持ちは。第一次上田合戦だけに集中したかったのだが・・・。
大河ドラマ「真田丸」第13話「決戦」感想。第一次上田合戦と梅
徳川勢7,000に対して真田勢は2,000。真田昌幸は籠城をしない。第一次上田合戦の始まりである。上杉家より一時帰参して源次郎信繁も参加する。これで駒は揃った。家康も鳥居元忠・大久保忠世・平岩親吉と名だたる武将を派遣している。真田家の名は全国に轟くことになるのだが、考えさせられる「決戦」であった。そのとき梅は・・・。
第一次上田合戦(神川合戦、上田・神川の合戦)、真田VS徳川
天正壬午の乱の和睦条件で浮上した沼田領問題。沼田を巡り争う真田家と北条家。真田昌幸が上杉景勝に通じたことにより徳川家康は、真田討伐を決意。第一次上田合戦である。1585年(天正13年)閏8月から同年11月、徳川家譜代の重臣・石川数正が豊臣家に出奔したことにより完全に撤退。真田家を討伐することはできなかった。

この合戦が安房守(草刈正雄)にとって、最後の戦となる。久しぶりに安房守(草刈正雄)の顔が生き生きとしていた!

「戦はな、始めるまえが肝よ。源次郎・・・」

まさに、これぞ安房守(草刈正雄)というセリフ。

思惑通りに運んだ安房守(草刈正雄)のセリフも格好よかった。

安房守(草刈正雄)「秀忠は初陣じゃ。思い切り怖がらせてやるのよ」

安房守(草刈正雄)「初陣で戦の怖さを思い知らされた者は、生涯戦下手で終わる」

こうまで言われ、上田城攻めを中止した徳川秀忠(星野源)ですが、関ヶ原の戦い本戦に間に合っていない・・・。

徳川秀忠。関ヶ原の戦いに遅参するも意外に名君?真田丸では星野源
徳川秀忠は地味な印象を与えてしまう。関ヶ原の戦いに遅れたことが目立つが、調べていくと秀忠のイメージが変わった。遅参に関しても諸説があり、一概に秀忠だけを責めることはできない。それよりも征夷大将軍への就任、以降に行ったことは徳川政権が長期的に続いたことを考えると果たした役割は大きい。

矢沢三十郎

左衛門佐(堺雅人)と三十郎(迫田孝也)の別れがあった。

策ではあるが伊豆守(大泉洋)への内通者として三十郎(迫田孝也)が選ばれた。

信玄公が落とせなかった砥石城を真田幸隆は一日で落とした。幸隆への内通者が幸隆の弟・矢沢頼綱といわれている。

真田丸では血気盛んな人物として描かれた「矢沢の大叔父」だ。

矢沢薩摩守頼綱。真田幸綱(幸隆)の弟、真田昌幸の叔父。
矢沢頼綱というとドラマの影響からか、俳優・加藤嘉の顔が浮かんでしまう。矢沢頼綱は真田幸綱(幸隆)の弟であり、真田昌幸の叔父になる。特に沼田城代としての功績が大きい。北条氏の攻撃を何度も退けている。矢沢家は真田家臣団の最高位にあり、明治に至るまで筆頭家老であった。知行高は2,000石。

砥石城繋がりということもあり、三十郎(迫田孝也)は適任だろう。のち三十郎の矢沢家は信濃松代藩の筆頭家老を務める。

三十郎(迫田孝也)は、左衛門佐(堺雅人)と別れると決まった時、

三十郎(迫田孝也)「三十郎は・・・、三十郎は・・・、源次郎様のもとにいとうございます」

の言葉を号泣しながら言う。

歯をギシギシさせながら、目を真っ赤に号泣しながらの三十郎(迫田孝也)を思い出すと泣ける・・・。

これにはグッときた!良かったよ~!!

矢沢三十郎頼康(頼幸)。父は矢沢薩摩守頼綱、第一次上田合戦で奮闘
矢沢三十郎頼康(頼幸)。父は猛将・矢沢薩摩守頼綱。ドラマでは真田家の良きサポート役として描かれている。真田源次郎信繁が上杉景勝の人質に出される際には警護役として同行している。第一次上田合戦では徳川家臣・大久保忠世を震え上がらせたエピソードも残っている。真田家筆頭家老であり、まさに矢沢家あっての真田家である。

今放送回では、一番良かったシーンであった。

源次郎と三十郎の主従関係は良かった・・・。

大河ドラマ「真田丸」第36話「勝負」レビュー

第36話「勝負」で、思いついたことをつらつらと・・・。

河原綱家の前歯

第35話「犬伏」で犬伏の密談を覗き、前歯が欠けてしまった河原綱家(大野泰広)・・・。

伊豆守(大泉洋)に喋り方を注意されていた。あんたがやったんだろうとは言わない(笑)。

この喋り方を小山田茂誠を演じている高木渉さんにアドバイスされたそうです。

さすが声優さんですね。大野泰広さんの喋り方、上手かったです!

河原綱家。犬伏の密談を覗き、真田昌幸に下駄を投げられ前歯を折る
河原綱家といえば、犬伏の密談を覗き、真田昌幸に下駄を投げられ前歯を折ることで有名である。綱家は、それ以降一生「すきっ歯」となってしまった。管理人も河原綱家に関する情報は、下駄しかなかったので調べてみた。
「真田丸」第35話「犬伏」感想。治部と刑部の挙兵~犬伏の別れ
徳川内府(だいふ)が上杉・会津征伐の留守中に治部殿は刑部殿を味方に引き入れ挙兵。真田家の方針は、会津征伐に従軍する振りをして家康を倒すことだった。しかし安房守より早くに豊臣方は決起し挙兵してしまった。そして安房守・伊豆守・左衛門佐の三人だけの会談が始まる。三人が出した答えとは・・・。
真田丸で小山田茂誠役を演じている高木渉ってどんな人?
NHK大河ドラマ「真田丸」で小山田茂誠役の好演技が光る声優の高木渉!ネットでも話題になっているらしい。管理人は知らなかったので調べてみた。「真田丸」では表情豊かにインパクトのある演技で、確かに好演技だと思っていました。「かなり気になる人」ではありました。第三話までだが、「真田丸」での小山田茂誠の落ち武者ぶりも強烈です!

平野長泰とスルメ

平野長泰(近藤芳正)が久しぶりに登場!

もちろん定番のアイテム「スルメ」は健在(笑)。

真田方と徳川方の会談には徳川方の代表として出席。官職こみで「平野遠江守長泰」を名乗る。

平野長泰(近藤芳正)は、左衛門佐(堺雅人)率いるゲリラ部隊に攻めこまれた。

左衛門佐(堺雅人)は、スルメだけを一刀両断。

平野長泰(近藤芳正)は腰を抜かしている・・・(笑)。

平野長泰。賤ヶ岳の七本槍のひとりだが、唯一人大名になれていない
「真田丸」で平野長泰が登場するとは思っても見なかった。賤ヶ岳の七本槍のひとりだが、唯一人大名になれていない。平野氏は鎌倉幕府の執権・北条氏の庶流の子孫、父・長治は清原業賢の子(清原宣賢の孫)とする説がある。秀吉からは大和国・十市郡田原本近隣七ヶ村に5千石の知行を与えられ、従五位下・遠江守に叙任。豊臣姓を下賜。

小山田茂誠

小山田茂誠(高木渉)も久しぶりに登場!

正室・松(木村佳乃)とは相変わらず仲睦まじい(笑)。

ほんとに久しぶりの登場だが、管理人にとっては癒しになっている!

真田信繁(幸村)が最後の手紙を送った義兄・小山田茂誠とは?
小山田茂誠は真田信幸(信之)、真田信繁(幸村)の義兄になります。真田信繁(幸村)の最後の手紙が小山田茂誠に宛てた手紙になります。正室は真田昌幸の長女で、信幸(信之)、信繁(幸村)の姉・村松殿。小山田信茂刑死後、いったんは北条氏政に仕えるが、その後真田昌幸、信幸(信之)に仕える。そして真田松代藩の次席家老を代々つとめる。
真田昌幸の長女、真田信繁(幸村)の姉、小山田茂誠の正室・村松殿
「真田丸」では松という名で女優・木村佳乃が演じてます。正式には、真田昌幸の長女、真田信繁(幸村)の姉、小山田茂誠の正室・村松殿である。子に小山田之知がいる。武田家滅亡後、真田家が織田信長に臣従した際、安土に真田昌幸は娘を人質として送っている。それが村松殿であった可能性がある。「真田丸」と同じですね。

本多正信と鶏肋

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今回の本多正信(近藤正臣)は登場回数が多かったですね。

骨付きの鶏肉をムシャムシャと食べるシーンが印象的だった。

これは鶏肋(けいろく)だろうか・・・。

鶏肋(けいろく)とは、「大して役に立たないが、捨てるには惜しいもの」を指す。曹操(魏の太祖・武帝)の言葉として有名。

漢中郡をめぐる劉備玄徳(蜀の先主)との攻防戦において持久戦をとる劉備軍に曹操軍が苦戦を強いられた時、曹操が言った「鶏肋」という言葉に対し、側近の楊修が「鶏肋(鶏のあばら骨)は、捨てるには惜しいが、食べても腹の足しになるほどの肉はついてない。すなわち、漢中郡は惜しいが、撤退するつもりだろう」

と解釈し、撤退の準備をしたという逸話。

真田丸、恐るべし!

本多正信。家康の名参謀、子・正純は宇都宮城釣天井事件で失脚
本多正信は徳川家康に「友」と呼ばれ、家康・秀忠に仕えた。相模国玉縄藩主。従五位下・佐渡守。本姓は藤原氏。江戸幕府・老中。家康の征夷大将軍就任のため朝廷との交渉に尽力。本願寺内部の対立を利用し分裂させ勢力を弱めている。江戸幕府では権勢を誇る。嫡男・正純に訓戒を残しているが、正純は「宇都宮城釣天井事件」にて失脚している。

超高速関ヶ原

今回、関ヶ原の戦いは佐助(藤井隆)の報告だけで終わった。

次回の回想シーンで、少し描かれると思うのだが・・・。

勝利に沸き返り、どんちゃん騒ぎの酒宴を開いている時に佐助(藤井隆)は帰ってきた。

周りの雰囲気を察し、言いづらそうな佐助(藤井隆)によると、

佐助(藤井隆)「関ヶ原において石田治部少様と徳川内府様との軍勢がぶつかりました」

佐助(藤井隆)「戦は朝方に始まり、昼過ぎには勝敗が決しました。徳川方の大勝利でございます」

安房守(草刈正雄)「何だと・・・」

佐助(藤井隆)「大谷刑部様はお討ち死に、石田治部様は行き方(ゆきかた)しれず・・・」

左衛門佐(堺雅人)「石田様が負けた・・・」

石田三成。三献茶から佐和山城主、五奉行の一人~関ヶ原の戦い
石田三成は秀吉が天下人になると秀吉の子飼いから次第に台頭する。確かに三成は槍働きの武将ではない。忍城水攻めの失敗から戦下手のイメージもある。秀吉の子飼いでも福島正則などとは正反対の武将だ。歴史とは勝者が都合よく伝えたものがほとんどである。三成の研究が進むことを望む。でもなんだろう石田三成のことを思うと切なくなる・・・。
大谷刑部少輔吉継。義の人、石田三成との友情~関ヶ原の戦いで散る
大谷吉継の前半生は少し謎の部分が多いです。「秀吉の隠し子説」は根拠がないが好きな話です。奉行としては優秀だったようです。大谷刑部に関しては賛否両論があり過大評価なんて声もあります。あまり解明されていないからミステリアスでもあり、人気があるのかもしれません。やはり関ヶ原の戦いでの強烈な奮戦と死に様でしょうか・・・。

関ヶ原の戦いのすべてである。世に言う「超高速関ヶ原」だ(笑)。

賛否両論あるだろうが、「真田丸」は真田家を描いたドラマだ。制作側と三谷幸喜氏はブレていない。

基本的なスタンスとして真田一族と「きり」が見たものを描くそうだ。

管理人は、そう言い聞かせることにした・・・。

信之

次回のタイトルは「信之」。

これだけで泣けてくる・・・。

信幸から信之に改名。父・真田昌幸との決別を意味する。

本当の意味での真田家当主としての道が、今始まろうとしている・・・。

真田信幸(信之)と本多平八郎忠勝の娘、正室小松姫
弟真田信繁(幸村)と違って地味な印象がある真田信幸(信之)。しかし関ヶ原の戦い、大坂の陣を乗り越え真田家を残すのは真田信幸(信之)である。そして信幸(信之)の真田家は幕末まで残り、明治維新をむかえる。その血筋は現在まで残る。信幸(信之)の正室は本多平八郎忠勝の娘、小松姫である。この二人に焦点をあてて記事投稿をします。

向井佐平次

あの「佐平次」が帰ってくる!

1985年放送の「真田太平記」で向井佐平次を演じていた木之元亮。

真田丸では九度山村の村長(むらおさ)・「長兵衛」役です。

木之元亮といえば、管理人は「太陽にほえろ!」のロッキー刑事、「ウルトラマンダイナ」のヒビキ隊長が思い浮かびます。

何と言っても草刈正雄との共演が楽しみです!

「真田太平記」で真田幸村(草刈正雄)が向井佐平次(木之元亮)に言った言葉は、名台詞となっている。

「わぬしとは共に死ぬるような気がする」

は忘れられない。

「真田太平記」第3話「幸村初陣」感想。往年のドラマを視聴。
沼田城を奪取した真田家であるが、天正壬午の乱の和議で沼田割譲が条件になる。真田昌幸は、沼田を割譲せず、徳川、北条を渡り歩く。1583年(天正11年)1月、上杉家が信濃に侵攻。真田幸村の初陣であった。昌幸は、上田城の築城を開始。1583年(天正11年)秋、上杉家が信濃に侵攻。真田源三郎信幸にも昌幸からの出陣命令が・・・。

幸村(草刈正雄)と佐平次(木之元亮)は、この言葉通りになる・・・。

「真田丸」第36話「勝負」視聴率

堺雅人主演の大河ドラマ「真田丸」第36話「勝負」が2016年9年11日放映された。平均視聴率は16.5%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。

前回「犬伏の別れ」より僅かに回復。

これより右肩上がりを期待!

「早丸」と呼ばれるBS視聴率は5.4%。自己最高を更新!

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まとめ

ついに来てしまった。

安房守(草刈正雄)・左衛門佐(堺雅人)は九度山に流される。

そして治部殿(山本耕史)・刑部殿(片岡愛之助)の最期が・・・。

それでは感謝の気持ちでしめます。いつもありがとうございます・・・。by aki(@aoplanning_com)

お読みくださってありがとうございました。それでは。

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