「真田丸」第30話「黄昏」感想。主計頭・加藤清正の号泣に感動

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この記事の所要時間: 124(文字数:7,246文字)

第30話「黄昏」は歴史的イベント・事件をこれでもかというくらいに詰め込んだ。少々詰め込み過ぎの感はあるのだが、神回とも思える放送回になった。拾(秀頼)を元服させ、体裁を整えようとするが、いかんせん幼すぎる。太閤・豊臣秀吉を演じる小日向文世さんの演技が、豊臣家の黄昏を連想させる・・・。

こんにちは、こんばんは、はじめまして、毎度です(笑)。aoplanning.comの管理人aki(@aoplanning_com)です。

太閤・豊臣秀吉は死の恐怖に苛まれていた・・・。

歴史好きの管理人が大河ドラマ「真田丸」レビューを好き勝手に記事投稿します。

それではいってみよう!

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大河ドラマ「真田丸」第30話「黄昏」あらすじ

慶長伏見地震により伏見城の天守閣は倒壊した。方針が変更になり、安房守は堀の普請に担当が変わる。せっかくやりがいを持っていただけに、安房守の落胆ぶりは誰の目から見ても大きかった。

1596年(文禄5年)、スペインのガレオン船であるサン・フェリペ号が土佐国に漂着。秀吉は70万石と見積もられた積荷欲しさに、「バテレン追放令」を利用し、宣教師と信徒を処刑。

大坂城に明の使節が和平交渉ため来訪。秀吉は「日本国王」の称号を得るが、激怒する。再度、朝鮮出兵を決意する。この和平交渉の場で秀吉は、粗相(小便)をしてしまう。源次郎信繁と治部殿の機転により、上手くごまかしている。

秀吉が先が長くないことを悟った治部殿は、拾(秀頼)の元服を急いだ。大坂城の天守で、秀吉は「ゆくゆくは京から天守をお迎えしたかった」と源次郎信繁に語る。平清盛の「福原遷都」のことだろう。

1598年(慶長3年)正月、秀吉は上杉景勝に会津転封を申し付ける。表向きは伊達政宗の抑えであるが、真の狙いは徳川家康への牽制であることを景勝に伝える。

1598年(慶長3年)3月15日、秀吉は醍醐寺で花見を催す。招待客は女性ばかりで、1300人が出席した。しかし秀吉にとっては、最後の大イベントになった。

淀殿が秀頼のためにと、「花咲かじいさん」をやってくれるように秀吉に頼む。みなが心配する中、秀吉は木に登って調子良く「花咲かじいさん」を演じるが、木から落ちてしまう。

次の日から秀吉は起き上がれなくなる。百助を出産していた稲は真田家の人間になることを決意していた。本当の秀吉の容態を兄・源三郎信幸に知らせていなかった源次郎信繁も、本当の秀吉の容態を兄に伝える。

死期が近いことを悟った秀吉は形見分けをした。「助作」「佐吉」と片桐且元・治部殿に形見分けをする。源次郎信繁には何もないようだ。いや秀吉の記憶の中には源次郎信繁はいない。昔の記憶はあるが、最近の記憶が秀吉には無い。

ここで第15話「秀吉」と同じシーンになる。源次郎信繁が秀吉と初めて会った吉野太夫のところに行くシーンだ。秀吉の記憶は、そこにあるらしい。心優しい源次郎信繁は秀吉に付き合う。

源次郎信繁は、秀吉に話を合わせながらも秀吉を上手くなだめている。源次郎信繁が遠くを見つめながら、第30話「黄昏」は終わる・・・。

淀殿(茶々)。豊臣秀吉の側室、秀頼の母、母は織田信長の妹・市
豊臣秀吉の側室・淀殿。父は浅井長政で、母は織田信長の妹・市。同母妹は初、江。子は鶴松、秀頼。猶女は完子。本名は茶々、菊子。秀吉の側室となってからは皆さんご存知だろう。秀吉が登場するドラマには欠かせない人物である。淀殿に「菊子」という名があるのは知りませんでした。淀殿といえば大坂冬の陣・大坂夏の陣なのだが・・・。
「真田丸」第15話「秀吉」感想。大谷刑部と石田三成
真田昌幸は秀吉に臣従するか迷っていた。上杉景勝は迷った挙句、秀吉に臣従した。三成と大谷刑部。佐吉と紀之介といったほうがいいだろうか。互いに理解していることをドラマで描いてます。関ヶ原の戦い近辺のドラマが楽しみデス。升の統一を取り上げるあたりがなかなか。幸せそうな秀吉一族でドラマは終わる。何かを暗示しているように・・・。

地震加藤

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大坂より秀吉(小日向文世)を心配した加藤清正(新井浩文)が、伏見城に駆けつけた。「地震加藤」を連想させる演出だ。ちゃんと大坂からというのがシブい!

歌舞伎・落語の題材となっている「地震加藤」は、清正が秀吉をオブって救出し謹慎を解かれるという話である。

朝鮮出兵を決意した秀吉(小日向文世)は清正(新井浩文)を呼びつける。治部殿(山本耕史)に泣かないように釘を差されていたのだが・・・。

老いた秀吉(小日向文世)を見た清正(新井浩文)は、涙ぐんでいる。

秀吉(小日向文世)に「これからのことを頼む」と言われた清正(新井浩文)は、秀吉(小日向文世)の膝の上で泣き崩れ号泣した・・・。

慶長伏見地震。伏見城天守は倒壊、歌舞伎・落語「地震加藤」の題材
大河ドラマ「真田丸」第27話「不信」で伏見城の絵図面が登場したので、慶長伏見地震を調べてみた。死者は1,000人を超え、伏見城でも600人が圧死したと伝わる。この地震での著名な死者は加賀爪政尚、横浜一庵。慶長伏見地震は歌舞伎・落語「地震加藤」の題材にもなっている。
加藤清正。賤ヶ岳の七本槍だが、従五位下主計頭に込めた秀吉の思い
熊本城築城、賤ヶ岳の七本槍、虎退治、地震加藤などで有名な加藤清正。エピソードが多い武将だ。意外だが、文禄・慶長の役まで大軍を指揮していない。当初から石田三成と対立していたわけではなく、ただの「猪武者」でもないようだ。勇猛果敢な豪将のイメージがあるが最初の官位は従五位下・主計頭である。そこに込めた秀吉の思いとは・・・。

サン・フェリペ号事件~日本二十六聖人殉教

パーデレ(神父)の計らいで、難を逃れていたキリシタンの大工・フランシスコ吉蔵(水橋研二)。ディエゴとパウロは捕まったらしい。

処刑される一向に加わった。処刑された26人は宣教師3人と修道士3人、日本人信徒20人。歩いて長崎に行かされた。

ディエゴとパウロは、

  • ディエゴ喜斎(ヤコボ喜斎・市川喜佐衛門・備前屋喜左衛門)-日本人。
  • パウロ三木-日本人。
  • パウロ茨木-日本人、レオ烏丸の兄。
  • パウロ鈴木-日本人。

である。パウロは三人全員か、このうちの誰かだろう。

秀吉の命令では、耳と鼻を削ぐであったが、治部殿により左の耳たぶを切り落とすだけとした。

1596年(慶長元年)12月19日、長崎の西坂の丘の上で26名(日本二十六聖人)が磔にされ処刑。いわゆる「日本二十六聖人殉教」である。

キリシタンの大工・フランシスコ吉蔵こと「フランシスコ吉」は、自ら進んで十字架の用意をして一番目に処刑されている・・・。

サン・フェリペ号事件~日本二十六聖人殉教、秀吉による信徒への弾圧
サン・フェリペ号事件と日本二十六聖人殉教事件について。日本二十六聖人殉教事件は太閤・豊臣秀吉が唯一行ったキリスト教徒への直接的迫害である。豊臣秀次事件の直後に起きた事件であり、対明外交、イエズス会とフランシスコ会の対立などが関係して複雑化している。日本二十六聖人殉教事件はサン・フェリペ号事件の直後に起きている。
【真田丸】キリシタンの大工・吉蔵~フランシスコ吉、最期は?
大河ドラマ「真田丸」第29話「異変」で登場したキリシタンの大工・吉蔵についての記事投稿。大工・吉蔵を演じているのは水橋研二。モデルはフランシスコ吉。二十六聖人のひとりであり、最期は「日本二十六聖人殉教」といわれる。

矢沢薩摩守頼綱の大往生

源三郎信幸(大泉洋)は「検地がはかどっていない」と上野・沼田に帰った。

源三郎信幸(大泉洋)は天守閣を構え、来るべきに備え沼田城を堅牢にせよと指示する。

着実に源三郎信幸(大泉洋)は真田家当主への階段を登っている。源三郎信幸(大泉洋)が頼もしく描かれるのは嬉しい!

張り切っていた大叔父・矢沢薩摩守頼綱(綾田俊樹)であったが、1597年(慶長2年)5月7日に死去。享年80。

有働アナの「ナレ死」とも言えるあっけない演出であったが、血の気の多い矢沢薩摩守頼綱は逝った。大往生である。

矢沢の叔父上ありがとう・・・。

真田信幸(信之)と本多平八郎忠勝の娘、正室小松姫
弟真田信繁(幸村)と違って地味な印象がある真田信幸(信之)。しかし関ヶ原の戦い、大坂の陣を乗り越え真田家を残すのは真田信幸(信之)である。そして信幸(信之)の真田家は幕末まで残り、明治維新をむかえる。その血筋は現在まで残る。信幸(信之)の正室は本多平八郎忠勝の娘、小松姫である。この二人に焦点をあてて記事投稿をします。
矢沢薩摩守頼綱。真田幸綱(幸隆)の弟、真田昌幸の叔父。
矢沢頼綱というとドラマの影響からか、俳優・加藤嘉の顔が浮かんでしまう。矢沢頼綱は真田幸綱(幸隆)の弟であり、真田昌幸の叔父になる。特に沼田城代としての功績が大きい。北条氏の攻撃を何度も退けている。矢沢家は真田家臣団の最高位にあり、明治に至るまで筆頭家老であった。知行高は2,000石。
矢沢三十郎頼康(頼幸)。父は矢沢薩摩守頼綱、第一次上田合戦で奮闘
矢沢三十郎頼康(頼幸)。父は猛将・矢沢薩摩守頼綱。ドラマでは真田家の良きサポート役として描かれている。真田源次郎信繁が上杉景勝の人質に出される際には警護役として同行している。第一次上田合戦では徳川家臣・大久保忠世を震え上がらせたエピソードも残っている。真田家筆頭家老であり、まさに矢沢家あっての真田家である。
真田家と沼田城。真田信幸(信之)の正室・小松姫の逸話と平八岩。
沼田領問題のもとになる沼田城。交通の要所であり、各大名から見ても真っ先に取得したい城であった。事実、城の支配者は何回か交代する。豊臣秀吉による小田原征伐の火種にもなっている。紆余曲折ありながら、北条家滅亡後は、ふたたび真田家の支配となる。小松姫の逸話と平八岩を紹介しながら、おもに真田家と沼田城についての記事投稿です。

元服

1596年(慶長元年)9月、拾(秀頼)が元服。

「羽柴藤吉郎豊臣朝臣秀頼」(はしばとうきちろうとよとみのあそんひでより)と秀吉(小日向文世)に紹介された。

これより藤吉郎秀頼と称す。

豊臣秀頼。母は淀殿、豊臣家の公達。本当に秀吉の実子なのか?
秀頼が誕生したことにより、多くの人の運命が狂った。別に秀頼のせいではないが、豊臣秀次は典型的な人物であろう。秀次死後、秀吉の期待を一心に背負い秀頼は成長する。豊臣家のプリンス・公達として・・・。豊臣政権の永続を願い崩壊が始まってることに気づかず秀吉は死んだ。そして豊臣政権は永続しなかった・・・。
「源平藤橘」に次ぐ氏(うじ)「豊臣」を賜る秀吉。氏姓は豊臣朝臣
大河ドラマ「真田丸」第14話「大坂」の予告で秀吉演じる小日向文世が「とよとみのひでよし」と高らかに名乗っている。なるほどと思い「豊臣氏」について記事投稿します。豊臣氏は摂関家になった。藤原良房以来700年にわたって継続されてきた藤原氏の摂政関白が中断。秀吉は豊氏長者・藤氏長者でもあり武家関白制を目指すこととなった。

醍醐の花見

醍醐の花見。秀吉の最晩年における花見の宴、北野大茶湯と双璧を成す,アイキャッチ画像

1598年(慶長3年)3月15日、太閤・豊臣秀吉が最晩年に京都の醍醐寺三宝院裏の山麓において催した花見の宴。「醍醐の花見」である。

醍醐寺の第80代座主・義演が、一代の華麗な英雄の最後にふさわしい大舞台のために、手配をして醍醐の花見を実現させた。

「醍醐花見図屏風」(国立歴史民俗博物館蔵)には花見の想像図が描かれている。

醍醐の花見。秀吉の最晩年における花見の宴、北野大茶湯と双璧を成す
太閤・豊臣秀吉の最後の大イベント。それが醍醐の花見である。花見に招かれたのは女性ばかりで、秀吉・秀頼の他には前田利家の名が見えるのみ。前田利家の正室・まつのエピソードも有名である。「醍醐花見図屏風」(国立歴史民俗博物館蔵)には花見の想像図が描かれている。

仙千代と百助

稲(吉田羊)は百助、おこう(長野里美)は仙千代を出産した。

仙千代は、のちの真田信吉。父・信之が上田に移ったため上野・沼田城主となる。

百助は、のちの真田信政。信濃・松代藩の第2代藩主。

この「仙千代」「百助」という名前であるが、豊臣秀次の仙千代丸・百丸から命名だろうか・・・?確かに真田信吉・信政の幼名を調査してもわからなかった。

仙千代丸・百丸は豊臣秀次事件で処刑されており、それぞれ享年5、享年4であったといわれる。

安房守(草刈正雄)・薫(高畑淳子)・おこう(長澤まさみ)・稲(吉田羊)、そして仙千代と百助のシーンで「パンパース」なる紙オムツをはいているとネットで話題になっている。

気が付かなかったよ~。みんなよく見てるなー(笑)。しかし「再丸」で、このシーンはカットされていました。

小松姫(稲姫・小松殿)。真田信幸(信之)の正室、父は本多平八郎忠勝
本多平八郎忠勝の娘からか、「薙刀」を持った逸話からか、気丈なイメージがある小松姫。真田信幸(信之)との夫婦仲は良かったようです。信幸(信之)とは仲々子供ができなかったようで、信幸(信之)に側室をすすめています。真田家には徳川家康の養女として嫁いでます。小松姫といえば沼田城での薙刀で武装している姿ですが・・・。
清音院殿、真田信幸(信之)の正室で信吉を産む。真田丸では「こう」
真田丸では「こう」という名前で、女優・長野里美が演じている清音院殿。清音院という名前は戒名からである。真田信幸(信之)の正室で長男・信吉を産みます。父は真田信綱。母は於北殿(高梨政頼の娘または妹)。のちに信吉は沼田城主になっている。大河ドラマ・真田丸での「おこう」は病弱ではあるが、魅力的なキャラクターになっています。
真田信吉。大坂の陣で逃走、松代藩・沼田城主。従五位下・河内守
真田信吉(さなだのぶよし)。母は清音院殿(真田信綱の娘)。官位は従五位下・河内守。信濃松代藩・沼田城主。この時の沼田の所領は独立した藩ではない。病気療養の父・信之の代わりに弟・信政とともに大坂冬の陣・大坂夏の陣に参戦。豊臣方に敗れ逃走したといわれている。
真田信政。真田信幸(信之)の次男、信濃松代藩主。最後は父と対立
真田信政(さなだのぶまさ)。母は小松姫(本多忠勝の娘)。官位は従四位下・侍従兼大内記。信濃松代藩主。病気療養の父・信之の代わりに兄・信吉とともに大坂冬の陣・大坂夏の陣に参戦。豊臣方に敗れ逃走したといわれている。なかなか隠居しないと思い込んでいた父・信之とは対立があったようである。
豊臣秀次。殺生関白の表現もあるが、文化人・教養人としての一面も
天下人・豊臣秀吉の甥になる豊臣秀次。少年期は叔父・秀吉の立場に振り回され養子に出される。殺生関白の記述もあり、悪行はあったにせよ文化人・教養人であったとも言われる。秀吉により関白・豊臣家の家督を継いだ。これが悲劇の始まりであったのかもしれない。もし関白になっていなかったなら・・・。秀次の最期は壮絶の一言であろう。
豊臣秀次事件。豊臣政権に亀裂が生じ、関ヶ原の戦いの一因?
1595年(文禄4年)6月末、関白・豊臣秀次に謀反の疑いが持ち上がる。豊臣秀次事件の始まりである。粛清の理由は諸説あり、ハッキリとはわかっていない。秀次が切腹したのは事実であり、秀次の係累は根絶された。そこまでする必要があったのだろうか。聚楽第、近江・八幡山城は破却された。秀次という人物がいなかったかのように・・・。

秀吉の形見分け

太閤・豊臣秀吉の形見分け。史実です。

ドラマでは、

  • 石田治部少輔(三成)-脇差し、金子50枚。
  • 片桐東市正且元(片桐且元)-金子15枚。

脇差しは「吉光(よしみつ)」で石田吉光と呼ばれる。

ちなみに他は、

  • 内大臣家康卿(徳川家康)-遠浦帰帆、金子三百枚。
  • 北庄中納言金吾殿也(小早川秀秋)-捨子茶壺、吉光脇差、金子百枚。
  • 江戸中納言秀忠(徳川秀忠)-枯木之絵。
  • 会津中納言景勝(上杉景勝)-雁之絵。
  • 備前中納言(宇喜多秀家)-最巻。
  • 加藤主計頭清正(加藤清正)-金子三十枚。
  • 真田伊豆守信幸(真田信幸)-国俊(くにとし)。
  • 清須侍従(福島正則)-貞宗。
  • 直江山城守(直江兼続)-兼光。
  • 本田中務大輔(本多忠勝)-法成寺。
  • 江雪(板部岡江雪斎)-金子三枚。
  • 大谷形部少輔(大谷吉継)-国行(鐘切国行(つりがねきり))。

参考サイトは以下のとおりです。本当にありがとうございました。

秀吉公御遺物 – 名刀幻想辞典

石田三成。三献茶から佐和山城主、五奉行の一人~関ヶ原の戦い
石田三成は秀吉が天下人になると秀吉の子飼いから次第に台頭する。確かに三成は槍働きの武将ではない。忍城水攻めの失敗から戦下手のイメージもある。秀吉の子飼いでも福島正則などとは正反対の武将だ。歴史とは勝者が都合よく伝えたものがほとんどである。三成の研究が進むことを望む。でもなんだろう石田三成のことを思うと切なくなる・・・。
片桐且元。賤ヶ岳の七本槍と称され、豊臣家家老。のち徳川家に出奔
片桐且元といえば賤ヶ岳の七本槍であり、豊臣政権の奉行職を歴任した。豊臣家家老にまでなっている。片桐氏は信濃源氏の名族であり、官位は従五位下・東市正(ひがしのいちのかみ)。豊臣姓まで下賜されている。同じ豊臣恩顧の加藤清正・福島正則の様なイメージはない。通称は助佐・助作。

大河ドラマ「真田丸」第30話「黄昏」レビュー

きり(長澤まさみ)が行く所、事件の匂いがする。キリシタンの集会に参加していた大工・フランシスコ吉蔵(水橋研二)は処刑されてしまった。集会には細川ガラシャ(橋本マナミ)、わくさ(円城寺あや)も参加していた。

吉蔵(水橋研二)は、きり(長澤まさみ)に「体は死んでも、心は死なない」と言い残して別れている。

きり(長澤まさみ)は源次郎信繁(堺雅人)に「キリシタンになりたい」というが、あっさり却下されている。

それよりも豊臣家に忠義を貫いている源次郎信繁(堺雅人)は悩んでいた。義を貫くことに疲れてもいた。

その本心は、正室・春(松岡茉優)と義父・大谷刑部(片岡愛之助)には打ち明けている。そういう意味では大谷家との婚姻は良かったと思う。

大谷刑部(片岡愛之助)の言葉「殿下はいささか長く生き過ぎたのかもしれんな」が印象的であった・・・。

安房守(草刈正雄)はやるせないでいた。伏見城の普請に心血を注いでいたのに。

というわけで、また安房守(草刈正雄)は吉野太夫(中島亜梨沙)のところへ通っている。

しかし吉野太夫(中島亜梨沙)は本多正信(近藤正臣)が放った忍びであった。吉野太夫(中島亜梨沙)は出浦昌相(寺島進)により始末された。佐助(藤井隆)によると本物の吉野太夫は京都にいるらしい。

安房守(草刈正雄)に「よくわかったな」と出浦昌相(寺島進)は言われた。

出浦昌相(寺島進)「同類は目を見ればわかる」と言って吉野太夫(中島亜梨沙)の正体を見破っている。

出浦昌相カッコイイ!!

その報告を受けた本多正信(近藤正臣)は「死んだが、役立たずめが」と舌打ち・・・。

【真田丸】長澤まさみの「きり」、最初は??最近は好きになった!
大河ドラマ「真田丸」が始まってみると、長澤まさみさんが演じる「きり」というキャラクターが物議をかもした。賛否両論あったが、大多数は否定的な意見であった。その当時、管理人も少し否定的に思っていた。しかし最近では、そのような意見を目にすることはなくなった。そして管理人も好意的に思えてきた。
真田信繁(幸村)の側室、高梨内記の娘。真田丸では「きり」
真田信繁(幸村)の側室で高梨内記の娘。真田丸では「きり」という名前で長澤まさみが演じていると言ったほうがわかるでしょう。信繁(幸村)との間には、次女・於市、三女・阿梅(片倉重長後室)をもうけています。九度山にも同行している。阿梅は片倉小十郎重長の後室になり、信繁(幸村)の次男・大八も片倉家に養育されたといわれています。
細川ガラシャ。父は明智光秀、細川忠興の正室。最期は壮絶
細川ガラシャはキリスト教信徒(キリシタン)として有名。父は明智光秀、細川忠興の正室。本能寺の変後、しばらく幽閉されていたことも有名である。しかし細川ガラシャといえば、やはり壮絶な最期ではないだろうか。美談として語られることが多く、いろいろな題材として取り上げられている。最期については、当時の書物で書かれ方が違う。
小西ワクサ。洗礼名はマグダレーナ(マグダレナ)、真田丸では「わくさ」
小西ワクサ。洗礼名はマグダレーナ(マグダレナ)。小西隆佐の正室であり、小西行長の母。夫・隆佐が秀吉に仕えたことから、ワクサも豊臣秀吉の正室・北政所に仕え侍女となる。真田丸では「わくさ」として女優・円城寺あやが演じる。
大谷刑部少輔吉継。義の人、石田三成との友情~関ヶ原の戦いで散る
大谷吉継の前半生は少し謎の部分が多いです。「秀吉の隠し子説」は根拠がないが好きな話です。奉行としては優秀だったようです。大谷刑部に関しては賛否両論があり過大評価なんて声もあります。あまり解明されていないからミステリアスでもあり、人気があるのかもしれません。やはり関ヶ原の戦いでの強烈な奮戦と死に様でしょうか・・・。
竹林姫(竹林院)。真田信繁(幸村)の正室、大谷刑部少輔吉継の娘
竹林姫(竹林院)。真田信繁(幸村)の正室、大谷刑部少輔吉継の娘。信繁(幸村)とは真田幸昌(大助)、片倉守信、あぐり(蒲生郷喜室)、菖蒲(片倉定広室)、おかね(石川貞清室)をもうける。関ヶ原の戦い後、幽閉された九度山での生活は厳しく、生活を支えるために真田紐を考案したとされる。現状では信頼できる資料が少なすぎる。
出浦昌相(盛清)。森長可の信濃脱出を助ける甲州透破(忍者)の統率者
「真田丸」では俳優・寺島進が演じてます。寺島進がカッコいいのか、出浦昌相がカッコいいのか・・・。清和源氏信濃村上氏の一族なんですね。甲州透破(忍者)の統率者。「真田丸」でもまさに「素っ破」。織田家が信濃から撤退した後は、真田家に仕えます。子・出浦幸吉は、松代藩の家老になります。
本多正信。家康の名参謀、子・正純は宇都宮城釣天井事件で失脚
本多正信は徳川家康に「友」と呼ばれ、家康・秀忠に仕えた。相模国玉縄藩主。従五位下・佐渡守。本姓は藤原氏。江戸幕府・老中。家康の征夷大将軍就任のため朝廷との交渉に尽力。本願寺内部の対立を利用し分裂させ勢力を弱めている。江戸幕府では権勢を誇る。嫡男・正純に訓戒を残しているが、正純は「宇都宮城釣天井事件」にて失脚している。

「真田丸」第30話「黄昏」視聴率

堺雅人主演の大河ドラマ「真田丸」第30話「黄昏」が2016年7年31日放映された。平均視聴率は14.5%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。

東京都知事選挙の投開票番組により繰り上げ放送になった影響なのかワーストを記録してしまいました。

参議院議員選挙の投開票番組により繰り上げ放送時も平均視聴率は15.1%。やはり繰り上げ放送の影響は大きいです。

「早丸」と呼ばれるBS視聴率は4.5%で好調キープ。

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まとめ

秀吉(小日向文世)は平清盛の「福原遷都」を持ちだした。思ってるうちの半分くらいしかできなかったと言っている。

威厳のあった秀吉はもういない。年老いた秀吉が小さく見える。小日向文世さんの演技が素晴らしい!

巨人・豊臣秀吉の死が近い。毎回切なくなるが、最近の真田丸は毎回が神回とも思える。

「内府」を「だいふ」と言わせる細やかさが素晴らしい!今回一番良かったのは、加藤清正(新井浩文)の号泣シーンだ!!

それでは感謝の気持ちでしめます。いつもありがとうございます・・・。by aki(@aoplanning_com)

お読みくださってありがとうございました。それでは。

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