「真田丸」第42話「味方」感想。長宗我部盛親と塙団右衛門のキャラ設定

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いいシーンもあったのだが、長宗我部盛親と塙団右衛門のキャラ設定が強烈過ぎて飲み込まれてしまった感がする。別に悪いことではないが、真田丸を見ていて笑いが止まらなかったのは初めてかもしれない。今までずっとシリアスに見ていた管理人には新鮮であったのだが・・・。

こんにちは、こんばんは、はじめまして、毎度です(笑)。aoplanning.comの管理人aki(@aoplanning_com)です。

信繁は監視の目をあざむいて九度山から脱出、大坂入城を果たした。そこで彼を待っていたのは・・・。

歴史好きの管理人が大河ドラマ「真田丸」レビューを好き勝手に記事投稿します。

それではいってみよう!

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大河ドラマ「真田丸」第42話「味方」あらすじ

大坂入城を果たした幸村は、今では「おかみさま」と呼ばれる淀殿に面会した。そこで淀殿の叔父・織田有楽斎を紹介される。有楽斎は一生懸命に幸村を持ち上げる。

幸村が退室したのち、大蔵卿局と有楽斎は幸村の武将としての力量を疑うように淀殿に話しかける。しかし淀殿は幸村を信じているようだ。

幸村は高待遇で迎えられ、一人部屋を与えられた。それに後藤又兵衛が突っかかる。又兵衛は、幸村の大坂入城が遅いのと、皆が「真田、真田」と騒ぐのが面白くない。

大坂城に幸村が入城したことは、駿府城の大御所にも知らされた。家康はうろたえる。「真田が・・・、それは父親か、息子か?」本多正純に問いただす。たしかこれは史実です。

安房守は数年前に亡くなっているが、真田の名前を聞いただけで家康が狼狽している。それくらい二回の上田合戦は家康にとっては強烈なインパクトを与えた。

江戸の秀忠とは、秀忠が駿府に到着してからの約束のはずだったが・・・。家康は慌てて戦支度をし、大坂に向けて駿府城を出発してしまった。秀忠は少し呆れた様子だったが、今度の戦は秀忠にとって関ヶ原の無念を晴らす戦でもある。

病が癒えない信之は、参加できないことを秀忠に報告。自分の代わりに信吉・信政が出陣することを秀忠に伝える。

大坂城では軍議というか評定が開かれた。豊臣秀頼は幸村を総大将にと伝えるが、これに又兵衛が異を唱える。評定は混乱するが、総大将は立てず五人の合議制が決定する。

場を仕切れない大野治長、若年ゆえ経験不足が露呈した秀頼を上手く描いている!豊臣方の人材不足は、誰の目からも明白であった・・・。

高梨内記が一つにまとまらない豊臣方を心配するが、幸村は笑みを浮かべている。

「この戦、十分勝てる!」

この時、幸村の表情は自身に満ち溢れていた。

ひょっとして、今年の豊臣方は勝つんではないかと思えるほどに・・・。

淀殿(茶々)。豊臣秀吉の側室、秀頼の母、母は織田信長の妹・市
豊臣秀吉の側室・淀殿。父は浅井長政で、母は織田信長の妹・市。同母妹は初、江。子は鶴松、秀頼。猶女は完子。本名は茶々、菊子。秀吉の側室となってからは皆さんご存知だろう。秀吉が登場するドラマには欠かせない人物である。淀殿に「菊子」という名があるのは知りませんでした。淀殿といえば大坂冬の陣・大坂夏の陣なのだが・・・。
大蔵卿局。淀殿・豊臣秀頼の乳母、子には大野治長・治房・治胤・治純
大蔵卿局。淀殿・豊臣秀頼の乳母であり、子には大野治長・治房・治胤・治純。豊臣秀吉の死後、秀吉の正室・高台院とその従者の孝蔵主が大坂城から去ると、子の大野三兄弟と共に豊臣家で重用され権勢を振るった。最期は秀頼や淀殿に殉じて、子の治長と共に自害。戒名は智勝院桂宗春大禅定尼。
大野治長。大野修理と呼ばれ、母は大蔵卿局。淀殿との密通は本当?
大野治長といえば、豊臣秀頼の側近で、淀殿との密通の噂があるくらいしか知りませんでした。やはり母が大蔵卿局だからだろうか。大蔵卿局あっての大野治長だと思う。豊臣家滅亡時の重臣というか舵取りをしていたほどの重要人物である。管理人は「大野修理」のほうがしっくりくる。
高梨内記。信繁(幸村)の傅役。九度山に付き従い、大坂夏の陣で戦死
真田信繁(幸村)の傅役であった可能性が高い高梨内記。娘は信繁(幸村)の側室になっている。第一次上田合戦で武功をあげ、関ヶ原の戦い以降は真田昌幸・信繁(幸村)に付き従い、九度山へ同行している。昌幸死後も九度山に残り、信繁(幸村)とともに大坂冬の陣・大坂夏の陣で豊臣方として戦う。大坂夏の陣で信繁(幸村)とともに戦死。
駿府城(府中城・静岡城)。今川氏時代は今川館、大御所・家康の城
駿府城(すんぷじょう)。別名は府中城・静岡城など。今川氏統治時代には「今川館」と呼ばれた。城郭構造は輪郭式平城。日本100名城(No41)にも選ばれている。徳川家康が晩年の城として駿府城を選んだのは、西の豊臣方への牽制のためだろう。静岡の地は徳川家の本山である関東の入り口であり、抑えの地として機能した。

ガランとした御文庫

大野修理(今井朋彦)に幸村(堺雅人)は、部屋へ通される。

その前に、御文庫へ立ち寄った。溢れかえっていた書物や書類は何もない。これだけ見ても豊臣家に天下がないことがわかる。

素晴らしい演出だ!

幸村(堺雅人)は「治部様、刑部様、源次郎は帰ってまいりました」

このセリフとともに、ガランとした御文庫が涙を誘う。

御文庫で精力的に仕事をしていた治部殿(山本耕史)と刑部殿(片岡愛之助)は、もういない・・・。

石田三成。三献茶から佐和山城主、五奉行の一人~関ヶ原の戦い
石田三成は秀吉が天下人になると秀吉の子飼いから次第に台頭する。確かに三成は槍働きの武将ではない。忍城水攻めの失敗から戦下手のイメージもある。秀吉の子飼いでも福島正則などとは正反対の武将だ。歴史とは勝者が都合よく伝えたものがほとんどである。三成の研究が進むことを望む。でもなんだろう石田三成のことを思うと切なくなる・・・。
大谷刑部少輔吉継。義の人、石田三成との友情~関ヶ原の戦いで散る
大谷吉継の前半生は少し謎の部分が多いです。「秀吉の隠し子説」は根拠がないが好きな話です。奉行としては優秀だったようです。大谷刑部に関しては賛否両論があり過大評価なんて声もあります。あまり解明されていないからミステリアスでもあり、人気があるのかもしれません。やはり関ヶ原の戦いでの強烈な奮戦と死に様でしょうか・・・。

大御所をまくし立てる阿茶局

徳川家康(内野聖陽)は真田に怯えていた。安房守(草刈正雄)が亡くなっていることも忘れるくらいに・・・。

二度の上田合戦のトラウマが家康(内野聖陽)を苦しめる。そりゃそうだろう、二度とも徳川家は敗戦しているのだ。

そんな家康(内野聖陽)を尻目に阿茶局(斉藤由貴)が言い放つ。

阿茶局(斉藤由貴)「左衛門佐ごときで天下の大御所様が狼狽えてどうされます」

阿茶局(斉藤由貴)「では良いことをお教えいたしましょう。大御所様は日に日に年老いていかれているのでございます」

阿茶局(斉藤由貴)「この戦、大御所様にとっては、最後の戦となることでございましょう」

家康(内野聖陽)「わかっておる」

阿茶局(斉藤由貴)「日ノ本中の大名を率いるのでございます。一気に攻め滅ぼしてしまわれませ」

阿茶局(斉藤由貴)「豊臣家はどうなさるおつもりで?」

家康(内野聖陽)「どこか遠国においてやって、そこでおとなしく暮らしてもらうよりなかろう」

阿茶局(斉藤由貴)「あ~~、そのような生ぬるいことを・・・。先々の不安はつんでおくに限ります」

阿茶局(斉藤由貴)「千姫様のことはどうとでもなります。姫を返せば、秀頼の命は助けると伝え、姫様を取り戻したら、討滅してしまえばよいのです」

家康(内野聖陽)「怖いおなごじゃ・・・」

阿茶局(斉藤由貴)「殿、かようなことで悩まれますな。信長公も秀吉公も、もっとひどいことをしてこられました。それが乱世というもの」

阿茶局(斉藤由貴)「そして大御所様が、その乱世を終わらせるのです」

乾燥させたトカゲ(ヤモリ?)を持ちながら、阿茶局(斉藤由貴)は家康(内野聖陽)の尻を叩いた。

無理やり煎じたものを、家康(内野聖陽)に飲ませた。

阿茶局という女性、家康にとっては無くてはならない女性である・・・。

それが上手く表現されている!

阿茶局(雲光院)。家康の側室、大坂冬の陣の和議に尽力。一位局
家康の側室である阿茶局(雲光院)。徳川家康との間に子はなさなかったが、才知に長け、奥向きの諸事一切を家康より任されている。子は神尾守世・神尾守繁、養子として神尾元勝・高源院 (鍋島勝茂正室)。大坂冬の陣では常高院・大蔵卿局と会見して和議成立に尽力している。後水尾天皇より従一位を賜り、一位局・一位尼と称される。
第一次上田合戦(神川合戦、上田・神川の合戦)、真田VS徳川
天正壬午の乱の和睦条件で浮上した沼田領問題。沼田を巡り争う真田家と北条家。真田昌幸が上杉景勝に通じたことにより徳川家康は、真田討伐を決意。第一次上田合戦である。1585年(天正13年)閏8月から同年11月、徳川家譜代の重臣・石川数正が豊臣家に出奔したことにより完全に撤退。真田家を討伐することはできなかった。
第二次上田合戦、犬伏の別れにより真田父子が東軍・西軍に
第一次上田合戦(神川合戦、上田・神川の合戦)から15年。真田家と徳川家は上田城を舞台に再び激突した。真田昌幸の嫡男・信之は徳川秀忠方である。第一次上田合戦に続いて第二次上田合戦も真田家の勝利。秀忠は関ヶ原本戦には遅参。が関ヶ原の戦いは東軍の勝利で終わる。真田昌幸・信繁(幸村)は高野山に流罪。のちに九度山に流罪になる。

徳川秀忠の覚悟

将軍らしくなった徳川秀忠(星野源)は覚悟を語る。

秀忠(星野源)「これは父の総仕上げではない。わしの総仕上げじゃ」

この徳川秀忠、調べると何もできなかった将軍ではありません。意外と勇猛果敢な人物です。

どうしても家康の影に隠れてしまうところが、ちょっとかわいそうです・・・。

そして第二次上田合戦のことにより、のち真田信之をネチネチいじめたなんて言われますが、それも違うようです。

本編で信之(大泉洋)が面会に来たときの満面の笑みは、秀忠と信之の良好な関係を表しているのでしょうか・・・。

徳川秀忠。関ヶ原の戦いに遅参するも意外に名君?真田丸では星野源
徳川秀忠は地味な印象を与えてしまう。関ヶ原の戦いに遅れたことが目立つが、調べていくと秀忠のイメージが変わった。遅参に関しても諸説があり、一概に秀忠だけを責めることはできない。それよりも征夷大将軍への就任、以降に行ったことは徳川政権が長期的に続いたことを考えると果たした役割は大きい。

癒やしの松殿

管理人にとっての癒やしの存在である松殿(木村佳乃)が少しだけの登場。

松殿(木村佳乃)らしいセリフであった。

松殿(木村佳乃)「皆怪我のないようにね。危うい時は、なるべく後ろの方に居て、声だけ出しなさい」

このセリフ、特に初陣である信吉(広田亮平)・信政(大山真志)に向けた言葉だと思っている。

あろうことか、この兄弟は大坂の陣で逃走という失態を犯している。

真田信吉。大坂の陣で逃走、松代藩・沼田城主。従五位下・河内守
真田信吉(さなだのぶよし)。母は清音院殿(真田信綱の娘)。官位は従五位下・河内守。信濃松代藩・沼田城主。この時の沼田の所領は独立した藩ではない。病気療養の父・信之の代わりに弟・信政とともに大坂冬の陣・大坂夏の陣に参戦。豊臣方に敗れ逃走したといわれている。
真田信政。真田信幸(信之)の次男、信濃松代藩主。最後は父と対立
真田信政(さなだのぶまさ)。母は小松姫(本多忠勝の娘)。官位は従四位下・侍従兼大内記。信濃松代藩主。病気療養の父・信之の代わりに兄・信吉とともに大坂冬の陣・大坂夏の陣に参戦。豊臣方に敗れ逃走したといわれている。なかなか隠居しないと思い込んでいた父・信之とは対立があったようである。

この言葉を聞いた小山田茂誠(高木渉)は苦笑い・・・。

管理人は、この夫婦に確実に癒されている(笑)。

そしてこのタイミングで真田信繁が姉と義兄・小山田茂誠に送った、あの有名な手紙の原本が発見されている。

これは凄いことだと思う・・・!

真田昌幸の長女、真田信繁(幸村)の姉、小山田茂誠の正室・村松殿
「真田丸」では松という名で女優・木村佳乃が演じてます。正式には、真田昌幸の長女、真田信繁(幸村)の姉、小山田茂誠の正室・村松殿である。子に小山田之知がいる。武田家滅亡後、真田家が織田信長に臣従した際、安土に真田昌幸は娘を人質として送っている。それが村松殿であった可能性がある。「真田丸」と同じですね。
真田信繁(幸村)が最後の手紙を送った義兄・小山田茂誠とは?
小山田茂誠は真田信幸(信之)、真田信繁(幸村)の義兄になります。真田信繁(幸村)の最後の手紙が小山田茂誠に宛てた手紙になります。正室は真田昌幸の長女で、信幸(信之)、信繁(幸村)の姉・村松殿。小山田信茂刑死後、いったんは北条氏政に仕えるが、その後真田昌幸、信幸(信之)に仕える。そして真田松代藩の次席家老を代々つとめる。
小山田茂誠殿、松殿、真田家にカムバック!室賀ロスで寂しい
真田丸で愛すべき室賀正武(西村雅彦)が逝った。室賀ロスのようにポッカリ穴が空いてしまったようだ。昌幸(草刈正雄)・源次郎信繁(堺雅人)を中心とするならば真田丸の魅力は、そのまわりのキャラクターの個性であると思っている。小山田茂誠殿(高木渉)・松殿(木村佳乃)再登場のタイミングは、そろそろかと思っているのだが・・・。

犬伏の別れの下駄?

佐助(藤井隆)より信之(大泉洋)のもとに、幸村(堺雅人)が大坂入城を果たした知らせの書状が届く。

今度の戦、信之(大泉洋)は小田原攻めの時と同じ様になると予想していた。しかし源次郎(堺雅人)が豊臣に味方するとなると話は別。

信之(大泉洋)は、自分が捨てた「幸」を拾った弟・源次郎(堺雅人)の覚悟を悟る。

信之(大泉洋)「奴は本気じゃ」

そのいらだちからか、丸めた書状を家臣・河原綱家(大野泰広)にぶつける。「犬伏の別れ」の再現となった。真田丸では下駄ではなかったのだが・・・。

綱家(大野泰広)は、口を抑えている(笑)。これは「犬伏の別れ」の下駄をいいたいのだろうと思う。

いっそのこと、どっかで本物の下駄を投げつけてほしいものだ(笑)。

犬伏の別れ。関ヶ原の戦いを前にした真田父子の別れ
関ヶ原の戦いを前に、下野国犬伏(現在の佐野市)で真田昌幸、信幸、信繁父子は話し合いをする。信幸が徳川方、昌幸と信繁が豊臣方に分かれて戦うことを決断。「犬伏の別れ」である。どちらが勝っても真田の家が残るようにと言われている。信幸(信之)の正室の養父は徳川家康であり、信繁(幸村)の正室の父は大谷刑部少輔吉継であるのだか。
真田信幸(信之)と本多平八郎忠勝の娘、正室小松姫
弟真田信繁(幸村)と違って地味な印象がある真田信幸(信之)。しかし関ヶ原の戦い、大坂の陣を乗り越え真田家を残すのは真田信幸(信之)である。そして信幸(信之)の真田家は幕末まで残り、明治維新をむかえる。その血筋は現在まで残る。信幸(信之)の正室は本多平八郎忠勝の娘、小松姫である。この二人に焦点をあてて記事投稿をします。
河原綱家。犬伏の密談を覗き、真田昌幸に下駄を投げられ前歯を折る
河原綱家といえば、犬伏の密談を覗き、真田昌幸に下駄を投げられ前歯を折ることで有名である。綱家は、それ以降一生「すきっ歯」となってしまった。管理人も河原綱家に関する情報は、下駄しかなかったので調べてみた。
「真田丸」第35話「犬伏」感想。治部と刑部の挙兵~犬伏の別れ
徳川内府(だいふ)が上杉・会津征伐の留守中に治部殿は刑部殿を味方に引き入れ挙兵。真田家の方針は、会津征伐に従軍する振りをして家康を倒すことだった。しかし安房守より早くに豊臣方は決起し挙兵してしまった。そして安房守・伊豆守・左衛門佐の三人だけの会談が始まる。三人が出した答えとは・・・。

犬伏の別れの候補地

犬伏の別れといえば、栃木県佐野市の新町薬師堂が有名だ。

しかし候補地は、もう一つある。

それが同じ佐野市の大庵寺だ。新町薬師堂からは700mくらいに位置する。

両方とも実際に訪れて記事投稿してます。よろしければ参考にしてみてください。

新町薬師堂。真田家密談、犬伏の別れの舞台。別れ橋・米山古墳
関東に在住する管理人が「新町薬師堂」に行ってみた。大河ドラマ「真田丸」第35話「犬伏」に遅れること一週間。念願の「新町薬師堂」だ。真田家ファンにとっては、聖地のような場所である。昼食は森田屋総本店。同日、足を伸ばして行った「史跡・小山評定跡」にも触れる。
大庵寺。もう一つの「犬伏の別れ」、小山評定後は徳川秀忠の宿所
関東に在住する管理人が栃木県佐野市の「大庵寺」に行ってみた。大庵寺を、もう一つの「犬伏の別れ」の地とする説がある。小山評定により会津征伐を取りやめ西上する事が取り決められた徳川秀忠が転進した際、大庵寺を宿所として利用したと伝えられている。新町薬師堂からは、すぐ近くです。

大坂に旅立つ作兵衛

堀田作兵衛(藤本隆宏)は源次郎(堺雅人)に呼ばれた。

そこへ信之(大泉洋)が立ちはだかる。

信之(大泉洋)「わしは徳川に忠義を誓ったのじゃ。今から曲げるわけにはいかん。源次郎のようにはなれんのじゃ」

このセリフを言いながら、信之(大泉洋)は作兵衛(藤本隆宏)を切ろうとする。

本当は、源次郎(堺雅人)・作兵衛(藤本隆宏)たちが羨ましいのだろうと思った・・・。

深いセリフだと感動していたら、なんか最後はコミカル色が強い大泉洋さんになってしまった。

え~~と思いながら、少しがっかりした。

ここは感動で終わらしたほうが良かったのでは・・・。演出だからしょうがないけど・・・(笑)。

真田信繁(幸村)の側室、堀田作兵衛興重の娘。真田丸では梅
真田信繁(幸村)の側室で堀田作兵衛興重の娘。真田丸では梅という名前で黒木華が演じていると言ったほうがわかるでしょう。残念なことに資料が、ほとんどありません。信繁(幸村)との間には、信繁(幸村)の最初の子「すへ/菊」をもうけています。のちに「すへ/菊」は石合重定/道定に嫁いでいます。

可愛らしい長宗我部盛親

「真田丸」第42話「味方」感想。長宗我部盛親と塙団右衛門のキャラ設定,画像01

幸村(堺雅人)は最初一人部屋であった。紆余曲折あって同部屋となる。

相手は長宗我部土佐守盛親(阿南健治)。

「土佐守」は自称。何でか分からないが、あれだけ官位を乱発した豊臣政権から官位を授与されていない。不思議である・・・。

いかつい風貌の盛親(阿南健治)だが、高梨内記(中原丈雄)に総大将のことを話していた幸村(堺雅人)の後ろで花に水をやっていた

浪人時代は寺子屋で子どもたちに教えて生計を立てた。これは史実どおりです!

だからなのか、盛親(阿南健治)は戦は嫌いだと言っている。

真田丸では心優しいキャラ設定になった・・・(笑)。

これも面白い!

長宗我部盛親。関ヶ原では戦闘に参加できず、寺子屋で生計を立てる
管理人が思う長宗我部盛親は少し可哀想な人物である。特に関ヶ原の戦いなのだが、結果だけ見ると成り行き上、西軍として参加している。本戦でも「宰相殿の空弁当」でも有名な毛利秀元、東軍に内応した吉川広家のせいで動くに動けなかった。戦闘自体に参加できていない。そんな長宗我部盛親の最期は立派であったと伝わる。

大河ドラマ「真田丸」第42話「味方」レビュー

第42話「味方」で、思いついたことをつらつらと・・・。

大坂五人衆が揃う

初登場ではないが、長宗我部盛親(阿南健治)が登場したことによって「大坂五人衆」が横一列に並んだ。

これからのことを知ってるだけに感慨深い・・・。

真田丸、真田信繁(幸村)と六文銭
2016年1月10日から放映される大河ドラマ「真田丸」を見るにあったて、真田信繁(幸村)を調べてみた。近年ゲームキャラクターとしての真田幸村は凄まじい人気です。「真田十勇士」などの人気も手伝ってキャラクターが実際の真田幸村を超越してるように思われます。こんなこというと夢を壊すようですが。。
毛利勝永。大坂五人衆とよばれ、大坂夏の陣では豊臣秀頼を介錯
豊臣家の譜代である毛利勝永。大坂五人衆のひとりである。父は毛利勝信(森吉成)。尾張出身で官位は従五位下・豊前守。名前は森吉政、毛利吉政、毛利勝永。通称は豊前守。号は一斎。兄弟は弟・吉近(山内勝近)。「真田丸」ではジャニーズ事務所所属の元男闘呼組・岡本健一が演じる。毛利勝永といえば大坂冬の陣・大坂夏の陣なのだが・・・。
後藤又兵衛(基次)。黒田長政との確執は?黒田二十四騎・黒田八虎
後藤又兵衛(基次)。「黒田二十四騎」「黒田八虎」「大坂城五人衆」の一人に数えられた。官位は従六位下・隠岐守。黒田家を出奔したのに「黒田二十四騎」「黒田八虎」に数えられているのが凄い!黒田家を出奔したのは他国の者(細川氏、池田氏)と頻繁に書状を交わすことに原因があったとされる。生存説などは多数で、伝承が多い武将である。
明石全登。熱心なキリシタンであり、元国際連合事務次長・明石康は子孫
明石全登は宇喜多家家臣でありながら、豊臣秀吉の直臣でもあった。大坂冬の陣・大坂夏の陣での活躍により大坂五人衆の一人に数えられる。全登は宣教師を自分の屋敷に住まわせて保護するほどの熱烈なキリシタンであった。子孫には元国際連合事務次長・明石康がいる。

胡散臭い織田有楽斎

井上順さん演じる織田有楽斎が初登場!

織田有楽斎は織田信長の弟だが、管理人のイメージは本能寺の変のこともあるし、なんか胡散臭い・・・。

真田丸では、穴山梅雪(榎木孝明)と同じ格好してるし(笑)。

でも管理人のイメージにピッタリです。怪しい雰囲気がプンプンします。

この有楽斎、そのうち・・・。

織田有楽斎(長益)。有楽流を創始、利休十哲の一人。有楽町との関係?
織田長益(有楽斎)。織田信秀の十一男。兄・信長とは年齢が13歳離れている。長益系織田家嫡流初代。「利休十哲(りきゅうじってつ)」の一人にも数えられる。のち茶道「有楽流」を創始。京都建仁寺の正伝院を再興、ここに立てた茶室「如庵」は現在、国宝に指定されている。

千姫が初登場

永野芽郁さん演じる千姫が初登場!

秀頼(中川大志)は、豊臣家のために尽くすと言ってくれたといっていたが、その表情は曇っていた。

横にいる秀頼(中川大志)は気づいてないが、幸村(堺雅人)は気づいている。

細かいことだが、この辺の演出が好きだ!

見ているものの想像力を掻き立てるし、これからのことを皆知っているので、なるほどと思う。

千姫(天樹院)。秀頼の正室。大坂夏の陣後は本多忠刻の正室
千姫(天樹院)。父は徳川秀忠。母は継室・江(崇源院)。大坂夏の陣により夫・秀頼と別れる悲劇のヒロインのイメージが強い。そのイメージが強すぎるからか、本多忠刻の正室としての千姫は、あまり知らなかった。そして天寿を全うしている・・・。
豊臣秀頼。母は淀殿、豊臣家の公達。本当に秀吉の実子なのか?
秀頼が誕生したことにより、多くの人の運命が狂った。別に秀頼のせいではないが、豊臣秀次は典型的な人物であろう。秀次死後、秀吉の期待を一心に背負い秀頼は成長する。豊臣家のプリンス・公達として・・・。豊臣政権の永続を願い崩壊が始まってることに気づかず秀吉は死んだ。そして豊臣政権は永続しなかった・・・。

大野治房が初登場

今回は、初登場の人物が多い。

元格闘家・武田幸三さん演じる大野治房が初登場!

大野治房のイメージがないので、分からないが血の気の多い人物だったのだろうか・・・。

今後を見守りたいと思う!

大野治房。秀頼の遺児・国松と脱出するが、捕われる。生存説も?
大野治房。母は大蔵卿局。兄は大野治長。兄弟とともに豊臣秀吉、豊臣秀頼に仕えた。1614年(慶長19年)からの大坂冬の陣・大坂夏の陣では主戦派の中心人物の一人として指揮を執る。1649年(慶安2年)に生存説が流れたため、江戸幕府によって捜索が行われたとされる。

お笑い芸人・諸見里大介ばりの塙団右衛門

一番笑ったのが、この人。

「夜討ちの大将」で有名な塙団右衛門。演じるのは小手伸也(こてしんや)さん。

本編を見ている時は、誰かに似てるなと思いながら見ていたのだが、Twitterのタイムラインを見て、その問題は解決した。

似ている人物とは、お笑い芸人・諸見里大介さん。タイムラインを見て、爆笑。しばらく笑いが止まらなかった(笑)。

滑舌が悪い諸見里師匠といえば、わかるだろうか・・・。

師匠の話は置いといて、塙団右衛門は「夜討ちの大将 塙団右衛門直之」と書かれた木札を本当にばらまいている。

ドラマでは名刺代わりとして「塙団右衛門参上」の木札を幸村(堺雅人)に渡している(笑)。

塙団右衛門(直之)。夜討ちの大将、樫井の戦いで散る。時雨左之助とも
塙団右衛門(直之)。加藤嘉明に出仕するまでは謎が多い。関ヶ原の戦い後は、加藤家を退去している。のち小早川秀秋・松平忠吉に仕える。福島正則にも仕えているが、「奉公構(ほうこうかまい)」により罷免される。浪人となり出家。大坂冬の陣が始まると豊臣方に浪人衆として参加。「夜討ちの大将 塙団右衛門直之」と書いた木札をばら撒く。

「真田丸」第42話「味方」視聴率

堺雅人主演の大河ドラマ「真田丸」第42話「味方」が2016年10年23日放映された。平均視聴率は13.0%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。

ついに自己最低を更新してしまった。裏番組に日本シリーズがあったにせよ・・・。

「早丸」と呼ばれるBS視聴率は5.3%。好調をキープ!

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まとめ

ちょっとメルヘンチックなキャラ設定になった長宗我部盛親だが、この人、可愛そうなところがあると管理人は思っている。

関ヶ原の戦いでは、どちらにつくか迷っていたところ、成り行き上で西軍として参加。

「宰相殿の空弁当」により、戦闘に参加できず、戦後は領地没収。京都では寺子屋により生計を立てる・・・。

そんな経歴が、あのキャラ設定なのだろうか。予想もしてなかったけど、もしかしたら的を得ているかもしれない!

それにしても、塙団右衛門には爆笑した(笑)。

それでは感謝の気持ちでしめます。いつもありがとうございます・・・。by aki(@aoplanning_com)

お読みくださってありがとうございました。それでは。

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